Personal memory 1
セラピストへの道
ヒプノセラピーってなんだろう?というところからのスタートでした。まずは有名なC博士の講座を受けました。テレビなどで見る催眠ショーとの違いからセラピーの方法までを学びました。しかし実演で見せてくれた技の数々に圧倒され、わたしにはとてもできないと思いました。
そして地道に心理学の基礎から催眠療法も学べる学校に通うことにしました。半年間は週一、続く半年は週二、そして卒業後半年のインターン研修をしました。その中で学んだことは、カウンセラーになる為の勉強をするのではなく、カウンセラーとして生きるということを学んだと思います。
最初の授業でぴしゃりと気合いを入れてもらいました。「カウンセラーになれると思ってここにいる人間は帰れ」と(笑)
その担任のF先生は、今まで出会った誰よりもすごい講師でした。的確な説明や話術、惹きつける魅力。あんなに真剣に授業を受けた事はありませんでした。それにめちゃくちゃ恐かったし(笑) 今でも先生に会うのはびびってしまいます。まだ、できれば会いたくない・・・でも、いつか堂々と目を見て話せるようになるのが目標です!
その当時のわたしは、とてもカウンセラーになれるような人間ではありませんでした。エゴグラムというテスト(適性判断)を最初にやった時、他人を批判するタイプで自意識過剰、孤高の人という結果が出てショックを受けましたが、やっぱり・・・という思いもありました。授業も挑戦的に受けていましたし、最初のフェイントでムッときて負けるものか!という意識で臨んでいました。絶対にカウンセラーになってやると思っていました。
そして学ぶほどに自分自身の問題が次々と露呈してきました。かなり痛い思いもしましたが、その内にある真実を知ることができ性格も変化していきました。同期の友人にもクラスの中で一番変わったと言われましたし(笑)
それまでは、自分を偉く見せようとか、弱い部分を認めたくないし知られたくないと頑に振舞っていました。でも、だんだんと突っ張ることを手放して、自然体でいることができるようになったのです。
そして卒業する頃には、エゴグラムもバランスよく変わっていたのが印象的でした。自分の痛みを知ることにより他人の痛みもわかる人間になれたのでしょうか。
しかし、心理臨床家としてやっていくのかというとそうではありませんでした。
現実不適応(社会不適応)に陥った人に対して、心理学的知識と技術を用いて行う、体系的(学術的な裏づけ、段階的)な専門的援助
心理療法の定義
DSM(diagnostic and statistical manual for mental disorders:精神障害の分類と診断の為の手引書)に則り症例の見立てをし、治療計画を立てるということを自分がしたいとは思いませんでした。そういうのは、大学や大学院に行った専門の先生に任せていいのでは?と。
わたしが本当にやりたいことはなんだろう?と思いました。そして、ワイス博士の本と出会い「前世療法」というものを知ることになるのです。タイミングよく、すぐに養成コースを受けることもできました。