Personal memory 1
オーラソーマと私-2
2003年に提出した「オーラソーマと私」 No.2
2月にインタッチ・ウイズ・オーラソーマのコースを受けました。2泊3日のオーラソーマとだけ過ごしたコースを私は忘れることはないでしょう。自然の中での素晴らしい感覚の体験でした。『感じる』ということがどういう事なのか、『ハートを開く』というのはなんなのか、少しわかった気がします。そのコースを受けるにあたってのイントロダクトリーにも参加し、初めてCというティーチャーと会いました。
部屋に入った瞬間から、自分を見る視線にどぎまぎし、終了後勇気を出して話しかけてみました。すると素晴らしくも恐ろしい言葉を耳にするのです。「あなたは魂が美しい」と。スピリチュアルな世界を探究する者なら誰でも望む魔法の言葉ではないでしょうか。その瞬間、喜びと共にすごく戸惑ったことを昨日のことの様に覚えています。<扉が開いてしまう、光が入ってきてしまう、もう逃げられない>と。今では完璧なタイミングで鍵を受け取ったことを知っています。自分が一番望んでいた全てがそこにありました。
でも、その時はそれを上手く受け取ることはできませんでした。つまり完全に舞い上がってしまったのです。地に足がつかない感覚。すべての感覚が開き、感情が溢れ、子供のように無邪気で無防備。でも愛を受け取り感じることに素直になれました。コース中は泣いてばかりいましたが、すごく幸せでした。自分がこんなになってしまうとは思いもせず、同じコースの人達は、自分達も同じ瞬間を体験したことがあるからと皆親切で愛情深く優しかった。
翌週レベル2を受けた時、状況は一変しました。2月からプロとして仕事を始めていましたので、自己紹介で『過去生セラピスト』だと初めて話しました。すると参加者の一人が最初の休憩時間に近寄ってきて、「あなた他人の過去生が見えるんでしょ?私のは見ないでね」と敵意に満ちた態度で言われ、誤解を解くこともできず落ち込んでしまいました。
その後も目も合わせてくれず完全に避けられてしまい、他の人もそうなのかもしれないと思うとどんどん畏縮してしまいました。そのコースは現実的なキャリアを積んだ年上の方が多く、以前の私であったなら普通に接していられたであろうに、やっぱり舞い上がっていた私の心を見透かされたように感じていました。そして一気に地に落ちた気がします。
まあ、おかげでグラウンディングできたのですが、その時は逆に気持ちが振れていきました。2ヶ月後、リベンジのつもりで再受講しました。前回は集中できずに終わったこともあり、また内容も多岐に渡っていたので必要だと感じたからです。デイリーセレクションシートを見るとゴールドを多く選んでいました。90番を2回も選んでいて、訳もわからず混乱していたように感じています。自分の価値を見出せないというか、グリーンを選んでいることでなんとかその場にいたようでした。
再受講でも自分の居場所はみつけられませんでした。ヒーラーと占い師の2名の方がいて、それぞれ自分の仕事に自信と誇りを持っている様に見えてうらやましかったんだと思います。今度は彼女達は他の人達からも支持されていました。私は自分のことをオープンにすることができず、選んだボトルはターコイズとコーラルが多く、色の計算をしたら圧倒的にブルーでした。
私はスピリチュアルな仕事を通してコミュニケーションをしていくこと、自分を周りに受け入れてもらいたいと思い始めていましたが、自分自身が自分を受け入れているのかどうかによるということをまだわかっていませんでした。86番のチャレンジがそこにありました。でも、それを乗り越えていく道は簡単ではありませんでした。わたしは引き続き86番のボトルを求めました。まだ次に行けない、終わっていないと感じたからです。
1999年はボトルにとっても大変な年だった様でした。フルセットを購入したのですが、届いた時から変色しているボトルがほとんどで、半分位は取り替えてもらったのですが、それすらもまた変色しているという状態でした。
今思えば、あの時は揃えることを諦めればよかったと思うのですが、あの時の私はどうしてもフルセットを並べて眺めていたかったのです。プラクティショナーとして早くやっていきたかったというのもありました。
フルセットのボトルは、私のセラピールームにとってなくてはならないものでした。クライアントの誰もが関心を示し、また美しいエネルギー空間を保ってくれていたのだと思います。ポマンダーやクイントエッセンスも必要に応じて使用し、私自身も自分のエネルギーバランスを調整したり浄化をしたりサポートを得たりとてもお世話になりました。つまり、当初の目的、開業するにあたっての自分を癒すものにぴったりと一致していました。こうして、わたしとオーラソーマの関係は理想的に進んで行ったのです。
プラクティショナーになって2年が過ぎ更新の頃になって迷いが出てきました。事務局とコミニュケーションが上手くいかず、結局IDカードは送られてこないままでした。購入はコースを受けた所でしていた為、事情を伝えてから暫くは困っていませんでした。ですから更新のお知らせが来ても信用できなかったのでしませんでした。それに、その頃にはコンサルテーションもしなくなっていました。ボトルの変色が進み気分的にしたくなかったのもあったし、私自身が気持ちが離れていたのです。だから、どんどん変色が進んだのかもしれません。