Diary

選ばなかった現実            2004. 7.30 FRI

もし、あの時ああしていれば・・・と思う過去の一つや二つ誰にでもあるだろうな。今日はなんだかそんなことを考えていました。

ほんとに些細なきっかけで流れが変わる。その時は流れが変わったことに戸惑ったり後悔したりする。なんでこうなっちゃったんだろう?って。

今回思い出したのは8年くらい前のこと。仕事上である有力者の方と知り合うことができ、すごく気に入っていただいて食事に誘われたのです。大抜擢してくれそうな勢いでチャンスを掴めそうな予感もしていました。

とても感じの良い方だったので失礼のないようにと緊張する気持ちもありましたがこれから一緒に仕事ができることが楽しみでもありました。実は密かに恋心に似た気持ちも感じていたのです(笑)

でも、当日、遠方から以前お世話になった方が上京し、久しぶりに 夕食を一緒にできないかと誘われたのです。正直すごく迷いました。でも、こちらの方は滅多に会えない方だったので最初に誘っていただいた方に断わりの電話をしました。

もちろん、正直に話す訳にもいかなかったので当たり障りのない理由を伝えたのですが、嘘をつくのが上手でなかったせいか機嫌を損ねてしまったのです。直感で何か感じたのかもしれません。彼氏がいるんだな、って誤解されたみたいでした。

もちろん、それで仕事が流れるということはなかったのですが、急に態度がよそよそしくなり嫌みを言われたりしました。変に言い訳するのも自惚れているみたいでできなかったので、そのまま距離ができてしまいました。

当然、抜擢の話も後押しもなくなりました。取らぬ狸の皮算用ではありませんが、ざっと数百万がパーになりました(苦笑) あの時はものすごく後悔しました。

ある程度の立場にいらっしゃる方なのでスケジュールも空けてくれていたのだと思います。当然お店の予約もされていたでしょう。怒るのも無理のない話です。

若気のいたりとはいえ、正しい判断ができなかったことを申し訳なく思いましたし、自分自身バカだったと悔やみました。

「チャンスの神様は前髪しかない。すぐに掴まなければのがしてしまう」という言葉を何度も何度もくり返し思いました。わたしは世界一のばか者だ、って情けなかった。一番のチャンスをのがしてしまった・・・とずっと思っていました。その後何年も尾を引きました。

でも、この件でその後は反省して教訓を生かせたかと言うとそうでもなく、これ程決定的でなくても何度かくり返しているのです。どうやら後押ししてくれそうな存在をいつも避けているかのように・・・

この仕事を始めてからも何度か同じような場面がありました。人柄や能力を気に入ってもらえて一緒に仕事をしようとか、任せたいとか言われることが何度かありました。でも、その都度ちょっとしたことで流れてしまっているのです。

条件が合わなかった時もありましたが、それよりも、まるで運命のいたずら?としか思えないような不思議な縁でなのです。それぞれ悪い人でもずるい人でもないのですが、そういう面がふと見えてしまう。

はっきり断った訳でもなく気がついたら流れている。まあ正式な契約前の打診の状態でのことなので自然消滅となっていきました。

今では、やっぱり試されていたのかなと思う。もし、本気で掴む気があれば、フォローするなりなんなり対処できた。食い下がって同意にこぎ着けたりしたと思う。

でも、そうしなかった。流れるままに流しておいていいと思った。「そういう縁なんだろう」なんて達観していました。

でも本心は後悔も何度かしました(笑)

やはり一人で試行錯誤して上手く行かない時は「あの時、あの話に乗っておけば良かった」「なんで上手に立ち回れないんだろう?」と哀しくなる。変にプライドが高い自分がうとましく思えたり・・・

今日、なぜ8年前の事を思い出したんだろう?

たぶん、あれが一番最初の「チャンスを掴み損ねた場面」だったのかな。それまでは、自分自身にそこまで大きな抜てきがきたこともなかったし、企業で働いていた時はあり得なかった話。30才になってある種の責任と節目の出来事だったように思う。

そして、この時上手く流れに乗れなかったことにより方向転換するきっかけにもなっています。この世界での道が絶たれた、と大袈裟にもそう思いました。こんなチャンスをみすみす逃すなんて才能がないとかなり落ち込みました。

なんだかリベンジする気も起きなくなってやる気が失せていきました。やはり夢を見過ぎちゃったからかもしれない(笑)

その仕事を続ける限り後悔は続く。同じ業界なので噂を聞くこともある。やっぱり好きだったんだと思う。同じ気持ちだろうと油断してないがしろにしたのです。だから悪いのはわたし。絶対許されない罪を犯したとずっと一人で思い続けてた。

でも、考えてみたらあのまま行かなくてよかったと今ではわかる。妻子のある年輩の男性との恋。もしかしたら愛人になっていたかもしれない。パトロンになるよね。それで果たして幸せだっただろうか?

その1年前にも不倫で苦しんだばかり。同じパターンに陥ろうとしていた?というより、今回は意識的に選んだような気もする。もう結婚したいという期待をしたくなかった。だからパトロンを求めたのだと思う。

まだ1年前の傷は癒えてなかった。もう打算でもいい、忘れたいと望んでいたのかも。

結局それで心理学の勉強に入ったのです。ゲリーにヒプノセラピストと言われたのも大きなきっかけだけど、本気で仕事にしようと決意したのはこの頃かな。もっと人の気持ちがわかるようになりたい、という思いもあった。

独りよがりで自己中な性格を直したいという気持ちも大きかった。正しい判断が下せるようにもなりたかったし、自分の意識を理解したい、自分しかできない確固たるものを見つけたかった。

歳を重ねるごとにいい仕事ができるのかなっていう期待と、自分の成長を自分で感じられるのっていいなと思った。それに、万が一結婚しなくても一人で食べていけるようにしたかった。

パトロンを求める気持ちと夫を求める気持ちってそんなに違いはないと思う。誰かに頼りたい、支えになって欲しいと思う。

でも、本当に必要なの?って内側に聞いてみると実はそうではない。「頼りたくない」という気持ちの方が昔から強い。パートナーが欲しいのです。対等でいられる関係。

だから、やはり手にしなかったように思う。その後の仕事関係の依頼の話も本質は同じでした。まだまだかけ出しのセラピストを売り出していただく訳なので、当然向こうの方が上です。だから対等ではなかった。当たり前と言えば当たり前なんだけどね(笑)

自分でもよくわからないまま、なんだか嫌な感じって思っていたのかも。だから話は進展しなかった。今ならわかります。

オーラソーマの友人と天の意志について最近意見交換をしています。天使の存在や神の意志、流れに乗るってどういうこと?信頼するということ、 委ねる、任せる、意志に従うとはどういうことか考えています。

そして手放すということはそれらと同じ意味、関連している様にも思う。

今は、やっぱり守られていたのかなと思うことができる。何年も後悔したし自分を責めたけど、あのままの流れを想像してもよかったとは思えない。それは今が幸せだから言えることかなって思う。

もっと不幸でいたら、ずっと選ばなかった人生を悔やんで生きていたと思うから。

だから、やはりどう選んだとしても、そちらの道を信じてできる限り生きた方がいい。選ばなかった未来はないのだから。そう思ってこれからも選択をしていこうと決めた。

物事には必ず両面がある。それに気づけばどちらを選んでも同じかも。

天の意志・・・まだよくわからないけど、ちょっとだけわかったような気がします♪ つまり自分が決めたことに責任を持ち、そこから幸せを導き出すのが真実かなと思う。

どちらに進んでもそれは真実の道。こころのままに、ハートに忠実に生きること・・・それがわたしの生きる道、かな。

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