Diary

こころに響く声を聞く          2004. 7.25 SUN

先月と比べると今月はネガティブな出来事が多かったような気がする。以前掲示板で書いてくれた人もいたけど髪型失敗の辺りからかもしれない。急に1年前のこととか直面する機会が訪れたり、この1年の未処理なものが表に出たようにも思う。

また、現在使用中のボトルのチャレンジの真只中にいることも気づきやすくなっている理由かもしれない。

やっと今になって処理できる準備ができたから起こったようにも感じる。ちょっと大変ではあったけど学びの機会だったと思う。果たして自分は自分自身でいられたか、誠意のある解決に向けて努力できたか、ハートから対応することができただろうか?

3月のセミナーに出たことにより自分自身の感情や身体の反応から少しは早めに気づくことができるようになった。

単なる理由のわからない反応で混乱することもなく、自分の中心にいて物事を受け取ることができたり、相手の反応によって自分の感情が動かされることも少なくなった。理解を越えた平和のブルーのような心境でいられたのは大きい。

色に対する思いも様々に感じるようになった。感情を色を通してチャクラを通して理解できるようになってきた。なんだかすごい♪

自分自身がある現実を認識することにより結果を決めることができるというのも有益でした。なんとなく、ここへきてやっと腑に落ちたように思う。そう思うと今月のチャレンジはあってよかったと感謝できます。

誰がなにを言おうと思おうと自分の現実は自分が決める・・・幸せは自分の心の持ち様で可能だと。

そんなことを考えながら本を読んでいた。今読んでいるのは超分厚い「ユングとタロット 元型の旅」と「天使が癒してくれる」の2冊。ユングの方は恐ろしいくらいの厚さで内容も難しい。でも、タロットの人物を通して多くの学びがあり心に響くものがある。

たぶん何度か読み直し本当に理解できるには数年を要すると思う。深い人間のテーマが感じられる。わたしも共に自分自身を見つめていこうと思う。行動や思い表現に至るまで的確に考察されている。サリー・ニコルズという著者の洞察に優しさと強さを思う。

一方のシルビア・ブラウンの本も素晴らしい。今まで多くの天使関係の本を読んだけど著者の人間性や情報の質の良さは卓越していると思う。祈りのエネルギーを感じました。

やはりタイミングなのかな。そろそろアークエンジェロイについてページを作ろうと考えていて、たまたま手にしたのだけど、やはり自分自身の今月のテーマとも間接的に関連していた。

こころをピュアにしてメッセージを受け取ること。自分の中で反応が起こることについて。そして、思うことを信頼すること、正しいこころの声を聞いていくこと。

耳で聞く声とこころに響く声の違い。今まで実はよくわかってなかったんだなって気がつきました。確かにこころの中でもマインド(思考)は絶えずおしゃべりをしている。プラスの感情もマイナスの感情も両方ある。まず反応する部分だと思う。

あれこれ分析したり検討したりしているところ。ここのフィルターを通すことは大切だけど、マインドの声が本当の自分の気持ちとは限らない。マインドを通過して、もっと内側の自分と向き合うと違う意見や思いも隠れている。本来はここに響く声が本当の自分の思い。

シンプルな思いと繋がっている。前回の日記の出来事と照らし合わせると「嫌いじゃないんだよね」って言っている。でも、マインドとしては「困ったどう対応しようか」「どう理解したらいいんだろう?」になる訳です。

でも内側のシンプルな部分は動じないしどうってことないと涼しい顔をしている(笑) そのうちなんとかなるんじゃない?とか面白い体験だと受け止めて大丈夫、になるのです。

すると「そうかも」と安心し起こることを見守る様になる。そして日常生活に支障をきたすこともなく平和でいられる。

誰かの攻撃や想念を受けたからって混乱したり嫌な思いをしたくはないよね。それは、その人自身の問題であり苦しかったり辛かったり混乱しているだけかもしれないから。

何かに反応して誰かにターゲットを絞ってぶつけているだけ。心理学用語で言う「投影」をしているのです。特に普段身近に接していたりしない場合は特にそう。

カウンセラーやセラピストはある意味それを気づかせる為の媒体になっていたりする。腹が立ったり好きになったり感情を引き出す鏡のような存在です。そうやって治療に生かしていくものだったりします。

だからネガティブな感情を感じても大丈夫。

本に話を戻します。天使達の存在意義についての説明が秀逸でした。彼等は、わたし達を守る為にいてくれる。人として生きた記憶がないので感情というものがわからない。だからネガティブな感情を抱いたとしても咎めはしないらしい。

ただ、ありのまま無条件の愛を注いでくれる。困った時、辛い時、ただ求めればいい。「助けてください」って。求めなければ助けてはくれない。勝手におせっかいをやいてはくれないのです(笑)

そして天使達は人の姿をして時々現れるらしい。直接的に助けてくれる善意の第三者をしてくれるのです。一見天使に見えないこともある。その文章を読みながら涙が溢れてきた。

15年前の体験を思い出したのです。初めての海外旅行でした。舞台はイギリス。ヨーロッパ周遊ツアーに参加したのです。そして初めての自由行動の日。美術館を廻りそろそろ夕食の時間が近付いていました。

急いでタクシーを捕まえて戻らなくてはいけないのに帰宅ラッシュの時間と重なり不馴れなわたしはタクシーを捕まえることができませんでした。見知らぬ土地で不安でいっぱいでした。

なんとかしなければ、と思いながら、やはり恥ずかしい部分もあり中途半端な動作しかできません。途方にくれ絶望的な気分で泣きそうでした。

そんな時、若いビジネスマン風の金髪の男性がピュ〜っと口笛を鳴らしてタクシーを停めてくれたのです。そしてわたしに乗るように合図してくれました。

わたしは、その時神様っているんだなって思いました。見るに見かねて助けてくれた親切なジェントルマンだと感謝しました。スーパーマンみたいだと思った。

もちろん、その後の旅行が素晴らしい思い出とともに過ごせたことは言うまでもありません。今でもイギリスにはいい思いしかないです。だからオーラソーマがイギリス生まれであることも嬉しい繋がリです。

今回本を読みながら思いが浮かんできたのは「彼は天使だったのかもしれない」という感覚でした。そう思えば辻褄が合うのです。

まるで映画のような場面でした。実際乗り込んで振り返った時、彼の姿は消えていました。お礼を伝えたかったのに残念に思ったことを今でも憶えています。

あの時、本当にわたしには絶体絶命のピンチでした。だから助けてくれたのだと思う。涙が込み上げてきてすごくいい気持ちに包まれました。

守られていたこと、愛されていたことを思い出しました。ちゃんと見ていてくれる、だから安心して大丈夫なんだと思えた。信頼していいこと、本当に助けを必要だと思ったら素直に助けを求めてもいいんだとわかりました。

自分でできるだけのことはする。そして後は任せて大丈夫。天の意志に従う覚悟ができた。

失敗してもバネにすればいいのだと思う。やりたいように思うようにやって、それでも上手くいかないのだとしたら、その時気づいてやり直せばいい。あきらめなければ失敗はないのかもしれない。

だから他人とのコミュニケーションが上手くいかなかったり意志の疎通が悪くても、自分の内側にあるシンプルな気持ちに従って全力で取り組めば大丈夫なのかもしれない。

上手くいかなければいかないなりの理由があるのだと思う。そこで一つの壁やチャレンジと受け止めて学んだり力を付けたり経験したり努力したりすればいい。

それを通過することで新しい自分の能力に磨きがかかったり優しくなれたりするのかもしれないからね♪

起こることを信頼して、祈りの気持ちを忘れず、与えることと受け取ることの実践を通してさらなる自分へと開いていこうと思う。感謝の気持ちとともに☆

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