Diary
自分の道を行こう♪ 2005. 1.17 MON
今日は「道」について書きたくなった。まあ、いつもそうなんだけど理由もわからず閃くみたい。特に外を歩いていたりすると色々な考えが浮かんでくる。
以前どこかで聞いた話、過去の自分、昔の知人などがイメージの中にやってくる。電車に乗っていても買い物したりご飯を食べたりテレビを見ていても、一つのテーマに焦点が合ってくる。
まあ、だから日記を書いたりできるから助かる。もしかしたら日記を書いているから絶えずネタ探しを意識のどこかで行っているのかもしれないけどね(笑)
実はほぼ毎日のように起こるのだけど、いつもは消えてしまいます。と、いうのも、そのテーマを話すのにぴったりなクライアントさんとお会いすることが多く、話したことですっきり(笑)
きっと、この話をするために準備していたのかな?とも思う。とても不思議なんだけど、かなりの確率で起こります。
いわゆるシンクロニシティーなのかも。話している最中はわかっていません。その瞬間瞬間で夢中で接しているので気がつかないみたい。でも、帰られた後で振り返ると「アレ?」と思い当たります(笑)
なので日記を書く時はセッションがなかった日やシンクロが起こらなかった日になるのかな。例外はあるけどね。あまりにも強烈になにかを感じて記録に残しておこうと思う日もあるし、すぐには書けなくて数日間寝かしてから書く時もある。
いずれにしても書くことで思いが残るのは面白いです。後でいくらでも振り返って思い出すことができるからね。時間が経って後日になると改めて理解できたり思い起こすこともあるし・・・
さて、「道」が気になったのはなんでだろう。オーラソーマでもとても重要なキーワードです。レイラインのラインの意味の中には「道」も含めています。
人生を表す言葉でもあり行動すること進んでいく方向性、指針でもありますよね。また過去を表す言葉でもある。生きてきた証。そんな中でやはり浮かんできた言葉、『僕の前には道はない。僕の後に道はできる・・・』高村光太郎の『道程』の中の一節。
この言葉を最近知ったのは某昼ドラでした(笑)
高村光太郎は『智恵子抄』のイメージしかなかったけど、なるほど!としみじみ共感することができた。結構スピリチュアルなのかも。
ネットで調べてみても多くの人が日記などで引用したりコメントしていました。深い言葉です。そして真実を表していると思う。
古代の昔、道なんてモノはなかった。誰かが食料を求め、水を求め道を切り開いたのだと思う。それを真似て同じルートを通ったことから次第に道ができた。都会の人はあまり経験がないだろうけど今でも田舎では同じようなことができる。
最初は人が通らないような獣(けもの)道をかきわけ道にするのです。草を刈ったり抜いたり踏みつぶし歩けるスペースを確保する。一度だけでは元に戻るかもしれないけど何度も通れば道になります。
そんなイメージがくり返し浮かんできた。そして、やはり、どうせ歩くなら誰も通ったことのない道、あまり通りたがらない道を行く方がギフトは多いよねと思った(笑)
今流行りのベンチャービジネスでもそうです。『二尾目のどじょうはいない』という言葉もある。まあ、二尾目くらいなら大丈夫だろうけど誰もが同じことを後追いしても利益は少ない。
綺麗に鋪装された誰もが通れる道、通りたい道を歩くより、イバラの道を行く方がいい。だって多くの人に荒らされていない分、果実は多く残っているだろうからね。ライバルは少ない方がいい(笑)
しかしイバラの道か・・・いまいち気が進まないよね。別にイバラの道にしなくてもいいのか。誰も通らない道=自分だけが知っている道でもある。オリジナルの道をみつければいい。すると「自分の道がみつかりません!」とよく言われます(笑)
オリジナルの道だからね〜他の人が教えてあげたらオリジナルではなくなってしまう。自分で答えを出したり考えたり見つけることに意味があるってことになる。そんなこと言ったら話は終わってしまう。
まあ、だからこそセラピーやカウンセリングの出番になる訳です(笑)
自分でなんとなく見つけられるヒントをつかむ。見つけられるかも?と自分を信じることができたり、出来ない理由がわかったりする。
本当はみんな誰でもできるとわたしは思う。でも、できないと思い込んでいる、思い込むパターンに陥っているだけと考えています。
高村氏の『道程』に大谷バージョンでアレンジしてみた(笑)
わたしの前に道をイメージする。それは真実の道だ。正しく歩いて行けると信じ一歩一歩確実に進む。
どんなに不安定で途切れそうになったとしても、わたしは心の眼でその道があることを知っている。そして歩きながら風景や過程も楽しむことができる。わたしの後には豊かな光が広がっていく♪
全然別物になってしまった(笑)
まあご勘弁ください。でも、これを考えながらいい感じのイメージに包まれ幸せな気分になることができた。荒削りながらなかなか?と自画自賛♪
まあ、こういうところが自分のいいところなのかもと思う。でもホント道は自分で作るものだと思う。
自分しか評価する人がいないとしても、そのうち「いい道だ」と思ってやってくる人がいるかもしれない。すると、どんどん大きな道になり鋪装してくれたり商店街ができたり多くの人が集まってきて都市になるかもしれないもの。
最初はそんな感じで村ができて町になり、やがて国になったりしたと思う。
最初はちいさな道でも無限の可能性が秘められている。そう考えると素敵。ある時期までは、その他大勢の道を彩る存在でもいい。やがて、それにあきたらなくなったら新しい道を探しはじめるのだと思う。その思い・タイミングを、野心や向上心を眠らせないように。
目覚める合図が来た時、やはり、その内側からの声に耳を傾けてもいいかもね。すべてはあるがまま。それが自然なことであり、自然の中に道もあるんだよね☆
日記を書くこともまた歩んできた道を記すということ。今気がついた(笑)