Diary
他人が見せてくれるもの 2010.11. 3 WED
人生に偶然はない でも、それは後になってわかることかも^^
その時でもある程度はわかるけど、後になればなるほど別の側面も見えてきて、改めて出会いに感謝ということの多いこと多いこと・・・
でも、それは本当にそうなのかそうでないかは関係なく、わかったと決めることに意味があるような気がするのです。
何事も自分次第。単なる偶然で済ませてしまってもいいし、運命とか縁とかで済ませてしまってもいい。でも、やはり本当は意図があることかもしれないのです^^
何の意図か?それはもちろん自分の成長のためのプロセスです。
でも、その時はわからなくてもいい。当時はわからなかったことがわかるということが成長でもあるからね^^
目の前にあっても見えてなかったことが見えてくる・・・
ちょっと面白いよね^^
認識するということが大切なのです。受け取る準備ができていなければ奇跡が起こっても単なる現象としてしか受け取れないのと同じです。
それはある意味 魂を込めるというか物質的に目に映し出しているだけでなく脳で認識し心で受け止めるという感じが近いかも。
他の霊能者やサイキックの人たちがどう認識しているのかはわからないけど、何かが見えるとか感じるとかというのは実際に物理的な肉眼で見るとは違うのかなと思います。
そして、それは決して感じとれない人に上手く伝えられるようなものではなく感覚的なものだと思うのです。だから伝える側の人たちはある種翻訳していることになるはず。
だから経験とか質とかが大きく作用して色々な風に受け止められるのかなと思います。
ほとんどの場合、10代とか若い子が何かを言ってもあまり信じてもらえないのは伝える能力がまだ未熟だから仕方がないのね^^
受け取ったものをストレートに伝えてしまうとかボキャブラリーが少ないとか受け取る側に合わせて言葉を工夫できないというところにあると思うのです。
能力って難しいよね^^
同じことを言っても信じてもらえる人ともらえない人がいる。
でも、その能力を封印して無難な大人になって、ちゃんとコミュニケーション取れる頃には能力を使うことを忘れてしまったり自分自身正当に評価できなくなっていたり・・・
能力あるのにね〜^^
それを時々思い出すのが夢の中であったり映画を観たり本を読んだり音楽を聴いたりしている時だと思います。無意識の中でふっと湧き上がってくる瞬間・・・
何かがある?まだ使っていない自分の力があるような気がする?
それは、やはり内なる声のささやき
平凡な毎日の中に埋もれてしまった閃きなのかなと思います。
きっかけは些細なことだったりするのね^^
仕事や人間関係がもう一つとか、不満はないけど退屈な毎日に気づいた時とか、自分と同年代の著名人や昔の友人の活躍を耳にした時とか・・・ホント色々です。
一見偶然に見えるけど誰かの言動によって反応する自分の心に気がついたら、それはみてみる必要があるということです。
他人は自分を写す鏡であるから、なにかしらの反応がある時は内側の声に耳を傾ける合図であるとも言えます。
全く同じ情報を得ても何にも感じない時の方が多いと思いませんか?^^
他人が見せてくれるのは自分の心の状態です。反応が起きた時はチャンスです♪