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「悪人」ってなんだろう?     2010.10. 6 WED

久しぶりに映画を2本観ました。『十三人の刺客』と『悪人』の順です。

前者は見てて不快になり後者はただ涙していました^^

でも、どっちも、実は今の私に必要な映画だったのかなと思います。どちらにも共通するテーマがあるのです。果たして『悪とは何か?』と・・・

どちらも被害者(前者の場合はターゲット)は単なる被害者ではなく加害者でもあり、観ている側には【殺されて当然】と思わせる演出がしてあります。

殺人は罪だけど、しかるべき理由があれば仕方がないのかも・・・と思ったり、この場合は行ってしまうのは当然と思ってしまいました。

でも、果たしてそうだろうか?

被害者(ターゲット)にも家族はいるし悲しむ存在もいるという事実。片方側の目線だけでは偏ってしまうということに今更ながら気がついたというか・・・

善と悪の狭間。何が正しくて何が間違いなのか?どうしてこうなってしまったのか?自分が同じ立場だったら、どう振舞えただろうか?と色々考えさせられた作品でした。

被害者は単なる被害者ではない。むしろ見方によっては加害者にもなる。被害者が加害者を作ってしまうこともある。それも無意識にそうなるとは知らず意図せず導いてしまうこともある。

やはり、やらされてしまうのか?相手は誰でもよかったのかもしれない。その時その場に居合わせためぐり合わせ、タイミング・・・

加害者の役をやらされてしまうこともある。そして、逆の立場になることもある。相手は最初からそのつもりがなかったとしても、些細な言葉のやり取りで怒らせてしまうこともある。相手の地雷を踏んで取り返しがつかなくなることも・・・

そう考えると生きていくのは怖ろしくもあり、人と関わるのは困難に思えるかもしれない。

かと言って自分ひとりでは生きられない。やはり誰か交流する相手がいなくてはつまらないのは確かなので他者を求めることになるよね^^

相手を怒らせたり嫌われたくないので自分を抑えるというのも度を越すとストレスになります。それに本心ではなく合わせてるだけというのがわかると当然信用してもらえないので、結果、反論するより悪い結果に繋がることもあります。

それに、どうしたって顔や態度に出るから無理して合わせても無意味なのです。でも、私達は、ついつい目先のことに惑わされ、その場限りの嘘をついてしまうこともあるよね^^

でも、逆の立場で考えると、それこそ一番腹が立つことだったりします。

やはり本心から相手に向き合ったり自分に向き合わない限り通じ合うことはできないのだと思います。ハートを開くこと・・・ハートの中には真実があるからね♪

再び映画の場面へ

あの時どうすれば彼らは救われたのだろう?

やはり素直に謝らないとダメだっただろうし、本当のことを話さないと伝わらないのだろうなと思います。許されなくても真実を伝える。わかってもらえなくても諦めないで話す。

誰でも「悪人」になってしまう可能性がある。いや、常に悪人なのかも^^

もしかしたら、やはり罪をあがなうために私達はここにいるのかな?ということを思い知ったような気もします。

常に悪人になる可能性がる私達。それは弱さからかもしれないし傲慢さからかもしれないけど・・・

誰が見ても「仕方がないよ」と思うシチュエーションだったとしても、そこで打ち勝たないといけないのかもね^^

どうやって相手を許すのか、どうやってその場を納めるのか・・・

相手にとっても自分にとっても最善の決断を考えて行動しなくてはいけない。もしかしたら、あんな絶望的な状況だったとしても別の決断ができたかもしれない。

もちろん、現時点の私がそれを思いつくことはできないけど考える価値はあるような気がします。むしろ考えなくてはいけない時が来ているという事かも^^

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