Diary
質問と答えの関係 2006. 7.15 SAT
何かの答えを求める時、ぞれは自分が知っていることを確認する時なのかもしれない。
セラピーを受けたりセミナーを受けたりするタイミング、それは偶然ではないよね。自分の人生のプロセスの中で「今だ」って思うから行動するのだし、たとえ偶然だと思えても全ては必然だったりします。
今何が起きているのか?自分の人生をどうクリエイトしていっていいのか悩むから受ける。そして、それは去年でもなく先月でもなく来月でもなく今なのです。
完璧な答えは得られないかもしれない。でも、何で完璧でないと言い切れるのだろう? 言い切れるということは、本当は自分が求めていた答えを自分が知っているってことになるよね。
では、どんな答えが得られれば満足する?って自分に聞いてみるといいです。
どんな結果だったら納得できるのか?
それがイコール、自分が求めていた答えってことになるからね。
それを知る為に、あえて納得できない答えを得ることもある訳です(笑) ホント起きることの意味は深すぎてややこしかったりするけれど、後でわかると「なーんだ」って思います。
だから、すぐに理解できなくてもOKなのです。
このことに気づくまで、わたしも多くの試行錯誤や疑いの気持ちを抱いてきました。なんでわかりやすくすぐに答えが得られないんだろうってね。
でも、考えてみれば簡単に答えを受け取れたとしても、受け取る準備ができていなければ本当の意味で理解することはできないのです。
「これが真実だ」と目の前に突きつけられたとしても、見えないだろうし、見えたとしても解読できないかもしれないのです。
英語を知らない人は、それが英語で書かれてあれば読めないのと同じです。たとえ多少は知っていたとしても、まだなじみがない文字であれば読むことはできないからね(笑)
だけど辞書を引いたり誰かに解説してもらえば知ることはできます。自分でも少しづつ使い始めたり他の例文を読んだりすれば、もっと意味がわかります。
そして、やがて自分のものになるくらい普通の言葉になるのです。
だから多くの人がセラピーを体験したとしても、その意味が本当に理解できるのには時間がかかったり個人差があるのは当然なのです。実際に受け取ったものを活かす方向で行動していかなければ単なる体験で終わってしまうのです。
もちろん、思いがけないふとしたタイミングで思い返すことも多いのだけどね。実際わたしも、かなりの体験が忘れた頃に思い出し一気に繋がったことが何度もあります。
その時は「なんで今?」と不思議に思ったりしたけど、でも、やはりそれなりに納得できたりするのです。
「今でよかったのかな〜」ってね。
まあ、焦らないことだと思います(笑) 自分なりに悩んだり苦しんだり分析したり色々してみるといいのです。そのプロセスがきっと役に立ちます♪
それにスピリチュアルな世界で完璧な答えなんてないです。自分が、そうだと思えない限り、それが真実にはなりえません。
そして、また、他の人にとっては全然どうでもいいことでも、自分が納得できれば、それこそが真実になります。
だから禅問答みたいな答えしかできないのでもどかしくもあり、でも、それが面白いところなのかなと思ったりね(笑)
自分でも「はっきり明言するのを避けているのか?」とか「答えられないだけなんじゃないの?」と意地悪く思うこともあるけど、でも、それがどうやら真実みたいです。
受け取り手次第でどうとでもなることが真実・・・らしいです。
だから、もっと高いレベルのことが知りたければ自分を磨きなさい、ってことみたい。結構厳しいけど「そうかも」って思う感覚もあります。
じゃあ、どうやって自分を磨けばいいの?って思うよね(笑)
それこそ、自分で考えることでしょう?(笑)・・・だよね〜
その為に自分はいるのだろうし、その為に人生はあるのだと思う。完全に完敗、何も言うことはないですね〜
でも、そのやり取りを自分の内側で感じながら、やはりなんとも言えない平和な感覚と高揚感はやってくるのです。OKなんだよね、っていう感じかな。
うん、大丈夫。また元気に日常に戻ります♪