Diary

必要とされたい気持ち         2005.12. 1 THU

面倒見がいい姉御肌の部分と面倒くさがりの両方が共存しているみたい。だから波があるし引き寄せるものも変わってしまう。自分でもなんとかしなくてはと思う。

でも、エネルギーのコントロールが難しい。誰かにサポートして欲しいという気持ちも少しあるけど自分でなんとかしたいという思いもある。素直なんだか頑固なんだかわからない・・・よね(笑)

誰でも矛盾した葛藤を抱えているのかな?と思う。常に冷静でバランスが取れているのが羨ましくもあり、でも人間らしくなくて近寄りがたい感じもする。

以前、動物占いに凝っていたことがあります。ちょうど一番ピークだった頃かな。出版された書籍は全部入手し自分なりに分析していました。わたしは「黒ヒョウ」です。

流行に敏感でファッションやスタイルにこだわるタイプ。デザイナーを本業としていたのでズバリです。そして、常にポーカーフェイスでいる見栄っ張りなので、感情が顔に出ていることを指摘されると動揺し不快になる、というところも当たっていました(笑)

自分では冷静でいたいと思うタイプなんだと思う。だから不意打ちに弱いし守りに入るとダメダメになる。強気でかっこつけて気合入れているときは結構がんばれちゃうのです。おだてられると調子に乗るので使いやすいです。頼まれると嫌と言えないし・・・(笑)

また「黒ヒョウ」だけあって白黒はっきりつけたいタイプ。確かに中途半端は気持ちが悪いので自然消滅で終わる関係というのは好みません。だから傷つけたり余計な敵を作ることも多いのかも。それに何事も善悪とか好き嫌いとか二極化して考えやすい方です。

単なる占い以上に性格やタイプがわかるので人間関係を知るために流行ったのだと思う。一時期は雑誌に取り上げられたり、本屋さんでもコーナーができるくらいの勢いでした。

今でも活用している人は多いんじゃないかな?

やっぱり会社の上司や同僚など、自分と全然違うタイプの他人を理解するために必要なものだと思います。

わたしの場合、ほとんどの占いが当てはまる気がすることが多く自分でも不思議です。単なる信じやすいとか自ら当てはめようと思いやすいからかもしれないけどね(笑)

でも、ホント暗示にはめちゃめちゃ弱いです。だから、極力そういう暗示を与えそうな人とは関わりを持たないようにしているみたい。「病は気から」じゃないけどネガティブな暗示を与えられると簡単に負けるような気がします(笑)

だから影響力のある人物と接する時は気を使います。必要以上にバリアーを張ります。受け入れるまでは時間がかかりますし批判的な目で観察します。ちょっと異常かなと思う。

決して心を閉ざしているつもりではないけれど誤解されることは多いです。たぶん簡単に信じて裏切られたと責任転嫁したくないからだと思う。

反対に普通の人に対してはオープンすぎるかも。むしろおせっかいなくらい励ましたいと思ってしまう。自分より弱いから?と思う部分もある。まだ本当の力に気づいていない人には引き出してあげたいと思う。元気になってもらったり強くなって欲しいと願う。

・・・もしかしたら大きなお世話かも?と自分でも悩む時もあるけど、でも、それがしたいことでもあるし、少しでも笑顔が見れたり喜んでもらえると嬉しいから続けていくつもり。

他の人が恥ずかしがってできないことかもしれないけど、わたしは昔から見知らぬ人に声をかけることに抵抗がないのです。

子供の頃は初対面の子がいると必ず自分から声をかけて友達になりました。好奇心旺盛だったせいもあります。さみしそうにしている子がいると黙っていることができませんでした。そしてみんなに紹介するというパターンだったので自然とリーダーになっていきました。

いじめのつもりはなかったけど、仲間外れにしてしまったこともあります。それは、自分の殻に閉じこもり心を開いて打ち解けてくれなかった子に対してです。

今思えば、もっと根気よく対処することもできただろうけど、なにせ子供なので、そこまで根気はなかったです(笑)

グループの中で誰かが孤立し始めても、全体の調和を優先するようになるので、ついて来れない子は放置することしかできません。そして結果として仲間外れを容認することになっていく。

リーダーだからといって子供に完璧に配慮しろと求めても無理だと思う。毎日色々な出来事が起こりサバイバルな訳です。気持ちも目新しいことに向かうのは当然の流れです。

それに自分から助けを求めてくれない限りどうすることもできません。「仲間はずれで困っている」と相談してくれれば絶対一肌脱いだはずです。それがリーダーであり親分ですから(笑)

でも、頼らない=信じてないと単純に思う。だからリーダだって淋しく思っているのです。

そして、この時のことがあるから大人になってからリーダーになることは避けているのかもしれません。もしかしたら、わたしが声をかけて仲間に入れなかったら仲間外れになることもなかったかもしれない、と少し後悔する気持ちもありました。

でも、あのまま無視していたところで状況は変わらなかったかもしれないと弁護する気持ちもあります。できれば、あの当時の彼女達に本音を聞いてみたいです。果たして・・・?

今の形で仕事としてセラピストをしているのは必然のように思えてきた。正しくエネルギーをやりとりしている実感があるから理想的です。変におせっかいを焼くこともなく、自ら手を挙げて望んで来てくれる人を全力でサポートできる。

時間とお金を介在することにより、お互いが対等な立場で向き合うことができる。たぶん宗教家になっていたら、とんでもない影響を相手に及ぼしていたかもしれないです。妙な説得力があるから支配することは簡単かも?(笑)

相手を支配することに対して恐れを抱いていることも事実です。時には信頼から依存へと移行しそうな人とお会いすることもあります。もちろん、それは嬉しいことではあるけれど、でも気をつけなければ、と自分を律する気持ちも浮かんできます。

支配者は逆に支配されます。信頼も諸刃の刃で押し付けのエネルギーも含まれているからです。頼る→依存する→要求するにエスカレートしていきます。

だからティーチャーになりたくないのかも(笑)

リーダーならリーダーとしての責任と、ある種の型にはめられる感じがするからだと思う。オーラソーマのティーチャーになる決心がつかないのも同じ。今みたいに自由に発言できない堅苦しさは絶対あるからね(笑)

ホントはブリッジを終えた現時点でもある程度の縛りはあります。だから今お伝えしている部分も規定を外してはいないつもり・・・です、たぶん(笑)

もし何か教える立場になるとしたら、やはり自分のオリジナルでやります。自分が元であれば誰にも文句は言われませんからね。

それに他の人と比べたり比べられたりはしたくないのです。わがままかもしれないけど以前ある体験ではっきりと自覚できたから迷いはないです。

だんだんとりとめがなくなってきたのでこの辺で終了しよう。

頼られるのが好きなのかも?と自覚したのは昨日のことです。横断歩道で信号待ちをしている時に見知らぬおばあさんが声をかけてきました。

浅草寺に行きたいと道を尋ねられたのです。しかし、ここは浅草橋。浅草は地下鉄で2つ先の駅です。もちろん彼女も承知で間違えて電車を降りてしまいバスで向かおうとして方向を知りたかったのです。

ただ答えて離れてもよかったけど、どう考えてもバスより地下鉄に乗り直した方が便利なので説明することにしました。

すると彼女も打ち解けて「トシをとるとそそっかしくて」と言い、わたしは「トシは関係ないですよ。だれでも間違いますから」とフォローすると嬉しそうに笑顔で地下鉄への道を降りて行きました。

わたしの中では、なんとも言えず暖かい気持ちが溢れてきました。単なる道案内のやり取りでも会話を続けることで繋がった感覚を得ることができたのです。

「おせっかいでもいいじゃない?」と内側でささやく感じがしました。そして、あのおばあさんは、もしかしたら天使だったのかもしれないと思いました。

実は先週にも同じような経験をしているのです。同じく地下鉄のホームで中年の女性が乗り換えについてアドバイスを求めてきました。その時も最初は簡単に同意し、しばらくしてから別の乗り換えの方法が閃き、少し迷ったけど再び話しかけました。

彼女も少し驚いていたけど伝え終わると感謝してくれました。1回目よりも明らかに打ち解けて話すことができたのです。その時も勇気を出してよかったと思いました。

誰かに手助けできる機会を与えてくれたことを本当に嬉しく思います。日差しが強い時はサングラスをかけているので、どう考えても人相はよくなかったと思うのです(笑) でも、他の人ではなく自分に声をかけてくれた。

そのことがとても嬉しいのです。たぶん見た目ではなく何かを感じてくれたのではないかと思うから、そのご縁に感謝の気持ち。都会では見てみぬ振りのクールな人間関係ばかりだと言われていても、意外とこういう機会は多いので安心します。

わたし自身誰かに頼ることはできにくいけど、時に仕方なくすることがあります。すると大抵いい結果に終わることが多いです。そして、やはり同じように相手の方もいい気分になるのかな〜と思います。

だから、もっとみんなが遠慮なくコミュニケーションすることができれば、もっといいエネルギーが広がるのかなと思います。わたしも子供の頃の自分に戻って輪を広げていけということかもね(笑)

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