Diary
期待は裏切られる 2005. 8.17 WED
先週今週と期待しすぎて裏切られた感があり少し落ち込んだ。先週のワークショップは1年前と同じ体験を求めて行ったけど、それは無理と言うものだと知った。
今度こそは、と実は期待していたお盆休みの帰省。これもことごとく惨敗。同じ結果をくり返していたことに気がついた。
正直かなりブルーになった。ついていないというか裏目裏目に出てしまった。こんなことなら仕事していた方がよかったのでは?と思った。その方がよっぽど充実していたに違いない、とさえ思えてきた。
たぶん、過大な期待が原因です。喜んでくれるのではないかと期待して買ってきたスペインのお土産。開けてすぐに放置されたのを見たときは心が痛んだ。
子供だから無邪気で素直な反応だったと思う。でも、もう2度と買ってくるものかと思ってしまった。今どきの子供はゲームさえあればいいのかもしれない。わかってはいたけど・・・
それ以外でも色々と準備していったのだけど期待したような反応が得られず、プレゼントするつもりが持ち帰ってきた物もある。タイミングが悪かったのかもしれないけれど、そういう流れだったのかな。
何かを与えようとしても、相手が受け取るタイミングでないこともある。今回はまさに行き場をなくしてすごすごと退散してきたような気がする。
こういうことが起きると、ほとんどの場合では心を閉ざしてしまいます。もういいや、と諦めの気持ちも浮かんできたり、意地になって素直になれなかったりする。
どんな形であれ愛情を与えたかったのに、受け取ってもらえないと知るのは切ないし苦しい。自分が馬鹿に思えたりする。
試されているのかな〜とも思う。でも、しばらくはバツが悪くて意固地になってしまう。まあ、意固地でいいじゃんと思い心を閉ざすことを自分に許可することにした。すると、少し呼吸が楽になってくる。自分に対して愛情深く思いやることができるようになる。
こうやって自分自身をケアしているんだろうなと思う。傷つくことは他人と関わったら避けることはできない。悪意はなくても傷つけられてしまう。
それに、落ち着いて考えてみれば期待しすぎていたこともわかる。裏切られた、と思っても、自分の期待や思い込みが大きいが故の裏切られた感なのです。そんなに期待しなければ傷つくこともなかったと思う。
かといって期待することを止めるのもつまらない。ダメージはないだろうけど期待している時のわくわく感は体験できない。まあ、そういうことだったのだと思う。
自分に期待するのは簡単なのに・・・
人によっては自分に期待する方が難しいと思うかもしれない。プレッシャーを重荷に感じるかによると思うけどね。わたしは、程好いプレッシャーは必要だと思うし心地よく感じるタイプなのでOKです。
でも、他人に対しては基本的には期待しません。相手の自由を尊重するようにしています。もしかしたら、ある意味無関心なのかも(笑)
しかし身内に対してとか、一度信じた相手には思い入れは大きいのかなと気がつきました。思い込みは結構強い方なのかもしれない。だから、そうではなかった時のダメージは大きい。「なんだ、ただの人じゃん」と思ったら楽になった。
また必要以上に自分の演じてきた役割にも見切りをつけることにした。長女としてとか、独身者として既婚者である妹や母に対して気を使う自分にもうんざりした。姪や甥を可愛いと思う気持ちはあるけど、だからといって善い人ぶる必要はない。
世間の常識に当てはめて妙にへりくだったり、結婚していないことを卑下するような発言はもう止めよう。自分らしくない。
相手を思いやる気持ちで話しているうちに自分の信念が揺らいでいることに気がついた。だんだんバランスが壊れていく。
本心で思っていないことでも口にすることで力を持ち始める。世間体に汚染されている自分。わかった風な言い回しが身についてしまっている。パターンにはまり込んでいる。
どちらかを肯定すると片方を否定することになっていく。だから、自分の中で焦りと混乱が生じる。自分の信念、自信が揺らぎ始める。
これも実は第五チャクラのテーマだったりするから面白い(笑)
早速テーマ通りのチャレンジがやってきたみたい。今までも気づいていたけれど、やっと真剣に向き合う時がきたのかな。
これからは勇気を持って自分の信念に向かって進んで行こうと思う。例え意見や立場が違ったとしても迎合しているばかりではつまらない。変にお世辞を言うよりは黙っていることを選んでもいいかもしれない。
言葉の力はすごい・・・ということを身をもって体験しました。