Diary

愛と死と戦い                2005. 7.11 MON

色々な本でも様々に定義されている愛。本当の愛ってなんだろう?と思う。多くのスピリチュアルリーダーや悟った人達、宗教家だけではなく人生の成功者も愛について語る。

この世で一番大切なものは愛なのだと。世界共通の真実・・・ということになっている。

でも、果たしてどれだけの人が本当に理解し実践できているだろう?

愛という名の下に戦いも起きている。愛する存在がいるということは対立する存在もいると言わんばかり。守る=敵がいるということになのかも。そ

もそも敵がいるからこそ仲間同士の絆や愛が深まる、団結するという図式は昔からずっとある。

大きな敵がいるからヒーローやヒロインも必要になる。敵がいなければ必要無い・・・

映画『アンブレイカブル』を思い出してしまった。考えさせられるいい映画だったと個人的には◎、一般的評価は低い(笑)

何かの本で「理解する」ということは、まず分けて分類する必要があるということだと書かれていた。確かに混乱を明らかにし、何が問題なのか、どの部分が理解できないのかわからなければ先に進むことはできない。分離して統合するということ。

カウンセリングでも問題の本質をつかむためには大げさに問題をクローズアップすることになります。すると、一時的には嫌な気分になったり辛い記憶がよみがえってくることもある。かさぶたを剥がす必要があったりするので直視するのはきついかもしれない。

スペインの旅でマイクが言った「愛はヒーリングの目的のために、愛のように見えないことをもたらす。」この言葉を改めて思い返す。

神の愛というものは我々の理解を超えた意図が含まれていると思う。

自分自身の人生に起きた過去を軽くふり返ってみただけでも、その意図は深遠すぎて当時はわからないことばかりだった。当然混乱したり怒ったり嘆き悲しんだりもした。死んでしまいたいと思ったことも何度もある。

でも、死ななかった。今では死ななくて良かったと思うし、色々な経験をしたことも無駄ではなかったと心から思える。そして、今、こう思えることが何よりも幸せに感じる。

昨夜テレビのドキュメンタリー番組で集団自殺について放映されていました。最近の傾向は一人では寂しいので一緒に自殺してくれる人を募るサイトがあるという。

実際何件も起こっているらしい。ニュースでも時々報じられるから知ってはいたけど信じられない思いでいっぱいでした。

彼等が思うのは「死にたい」ではなく「消えたい」という気持ち。家族や知り合いを悲しませたくないから消えてしまいたいという思い。わからなくはないけど・・・

久々に考え込んでしまった。なんで、こんな番組を見てしまったのだろう?という嫌な気分にも正直なりました。最近はテレビを見たりニュースを見てもネガティブなメッセージが多いので遮断してきたのに(笑)

見てみぬ振りをしようと言うより、最初から見ないでおこうと考えるあたり人としてどうか?と言う気もするけれど、「どうすることもできないのであれば関わらない」という選択もありだと思うのです。

何でもかんでも引き受けてできもしないことで心を煩わせるより、今できることをすると決めていました。

なにしろ基本的にはおせっかいです(笑) 疑問や謎があると気になって本を読んだり調べたりして納得がいく答えを出そうとするタイプ。

でも、世の中には、そう簡単に答えが出せないことが多数あることに気がつき、時期が来るまで保留ということができるようになったので最近は楽に生きられるようになりました。これもセラピストになったおかげかも(笑)

さて話を戻して自殺について。死にたいという悩みを訴えてくる人に対しては当然止めます。それは、本当に死にたい人は人に相談はしないと思うから。

死にたいのではなく、死にたいくらいに辛いが本当だと思うからね。だから、先の例でも消えたいのではなく、消えたいくらい辛いのだと思う。

その番組でも幾つかのケースでは母親との関係の中での辛さが浮き彫りになっていました。こんなに辛いのにわかってくれない親を責める気持ち。素直になれない思いが切なかったです。一緒に病気と闘って欲しいと言う娘に対して手を引くと言ってしまう母親・・・

もちろんお母さんに原因はある。でも、間違いを認めさせようとしたり謝罪を求めても無理なのです。それに、謝ってもらいたいということがゴールではないからね。

誰だって自分の過ちを認めることは辛い。お母さんにしても辛い事情や言い訳が絶対ある。お互いが意地になって相手を責めても解決は難しい。

むしろ、こちらから許してあげる方が簡単に望む関係へと修復することはできる。歩み寄ること、安心させてあげること、するといつか本当の気持ちを話してくれると思う。時間はかかるだろうけどいがみ合って手遅れになるよりはずっといい。

親だから優れているとか完璧であることを求めることも問題になる。自分の親なんだから間違ってもあたり前と許してあげたらどうだろう。先生や上司や友人に対しても同じ。自分と縁があると言うことは波長が合うわけだから同じレベルなんだよね。

もちろん優れた上のレベルの人もいるけど全部が全部優れていたら自分に自信をつける余地はなくなってしまう。他人は自分を写す鏡なのだからチャレンジする相手がいないと言うことは成長も見込めない(笑)

ちょっと考えてみて欲しい。自分に対して怒っていたり責めている相手に心を許すことができるだろうか? たぶん、ほとんどの人が無理だと思う。無関心を装って平気な振りをしたり、避けたり、もしかしたら戦おうと決めると思う。

しぶしぶ謝る羽目になったとしても納得していないだろうから口先だけとか屈辱の気持ちと共に新たな火種になることもある。相手だって謝罪を本気にはしないだろうから要求はエスカレートする。いつまでたっても終わらない。

本当に望んでいることは何か?と心から考えてみる。形式とか立場とかを度外視すれば本音はシンプルかもしれない。こじれた親子関係の場合は、本当は愛して欲しい、だったりする。もっと愛して欲しい、わかって欲しい、受け止めて欲しい、じゃないかな。

この思いが本当に伝われば氷は溶ける。「言ってもわかってもらえない」と決めつける所に留まっていては解決はない。相手がある日突然望むようなお母さんになって詫びてくれるわけではないのだから(笑)

ちなみに、詫びたい気持ちがあったとしても、こじれている関係では勇気がなくて同じように辛い思いをしていたりします。親子なので同じパターンや行動をしがちなのです。

どちらが悪いのか?のゲームにいつまでもはまりこんでいると未だに解決しない戦争と同じ状態がずっと続きます。ある意味、外側の世界(戦争)も、私達の内側での葛藤の現れです。

人々の身近な相手との戦争が終われば、外の戦争も終結するはずです。どちらの国も平和を望んでいるはずなのに相手を許さない思いがあるうちは終わるわけがない。

思い切って本音を話し合う機会があれば、それぞれに対しての見方も変わると思う。間に色々な利害関係者や思惑が絡んでくるから難しいのです。

シンプルにお互いの利益になる方法を導き出すことができれば平和的な解決は可能だと思う。同じ人間なのだから、わかり合うこともできると信じたいです。

とにかく死ぬ気になれば何でもできます。せっかく生まれてきた命を無駄にしないようにと思う。そもそも選ばれて希望してここにきたことを思い出して欲しい。自殺は運命ではないからね。ホントにリタイアになるので死んでから後悔すると思います。

別に誰に怒られるわけでも地獄に行くわけでもないけど、自分が後悔します。死んだら終わりではないので安易にあきらめないで欲しいです。

一度でも過去生回帰を体験した人にはわかる感覚なのかもしれない。でも、だからと言って自殺志望者が殺到されても困るけどね(笑)

後になってみないとわからないことが人生にはたくさんある。わたしだって、まだほんの一部に触れただけなので、もっと後になればもっとわかる可能性も大いにあると思っています。

だから、途中で投げ出しては勿体ない。最後の最後に謎が解けるまで見届けることが大切だと思う。

混乱したら一時的に撤退したり先延ばしにしてもいいから別の方法を試してみる。すると別の視点から見ることができたり深みを増してきたり色々するからね。

奇跡が起こる可能性もあることを信じてねばること。生きながらリセットする方法もあるので探してからでも遅くないです!

Past ---5

2005年リスト

About . . .

Information