Diary
無条件の愛への扉 2005. 6.29 WED
一つの区切りである誕生日を迎え39歳になりました。30代の最後の1年になりますが不思議と焦りもなく穏やかな気分です。
29歳の時は最愛の人と別れたばかりで辛い誕生日でした。
その頃テレビドラマ「29歳のクリスマス」が山口智子主演で大ブームしていました。確かドラマの主人公は29歳に恋人と別れた設定で、その後色々なことがあり最後はハッピーエンドだったかな?
主人公の友人達も様々なドラマがあり微妙な年齢の心の動きが上手く描かれ共感を呼んだのだと思う。
でも、まさか同じように自分もなるとは思っていませんでした。そのドラマを彼と一緒に楽しんでいた時期もあったのに・・・。
詳しくは他のページでも色々書いたのでここでは省きますが、まだ10年しか経っていないという思いと、もう10年も経ってしまったのかという驚きと両方があります。
今になってみれば必然だったという気もするし、まあ、無理やりでも結果オーライにしてきたと思う。そうでなければ過去に生きたままになってしまうからね。
まあ、こんな時なので過去をふり返るのも悪くない。一つの区切りとしてね。 この時の出会いと別れがなかったら今のわたしはいない。良い事も悪い事も両方含まれている。あの時ああしていれば・・・とくどいくらい後悔したこともある(笑)
何とかできる方法があったことも数パターンも考えた。でも結果はひとつ。その選択、その流れが自分にとって一番良い流れだったと思うしかない。覆水盆に返らず。こぼれたミルクは元には戻らない。起きたことを信頼するしかない。
信頼するには・・・いい結果に今をするしかないのだと思う。
今の自分はどう?と自分に問いかける。なかなか悪くないと思えたらOKかな。そして、もっとこういう展開も望んでいると言えたら完璧。現状に満足しつつ次の展開も狙っているのが理想。そうありたいと常に考えています。
若い頃(笑)は39歳の自分なんて考えてなかった。もう夢も希望もない普通の人になってしまっているような気がしていた反面、もしかしたらすごい人になっているような感じもあった。
でも、その頃のイメージは貧困だったので、お金持ちの実業家になっているかマダムになっているか位のモノだったけどね(笑) いわゆる有閑マダム、今で言うセレブに憧れていました。
セレブ・・・それはそれで素敵だとは思うけど、そうはならなかった自分がいます。何かが欠けていたのだと思う。そして欠けていた部分が今の自分にはあることをちょっぴり知っています。
言葉で説明するのは難しいけどひとつだけ挙げるとすれば、自分だけにしかできないこと、だと思います。簡単に説明できないところが魅力なのかな。パターンとして括れないところ、ステレオタイプのイメージでないところかな。良くも悪くも個性的な感じ(笑)
別にうらやましくもない部分って逆にすごく素敵に思えるのです。自分だけがわかる価値。誰に知ってもらう必要も証明する必要もないものを持っているっていい感じです。
まあ、たぶん多数には全然興味もなく面白くもカケラもないであろうことの輝き。それに気づけたことが今の仕事にも生きているような気がしています。
そして誰でも同じように思うだろうけど、いざその年齢になってみると思ったより若く感じたり未熟に思えたりするものです。もう39歳、立派な大人、まあおばさんと世間は見る年齢だけど自分ではそうは思えない不思議(笑)
自分がその年齢になると同じ年頃の人も同じように見えるわけだから当然全体的に若い感じがする。実際10年前と比べたら世間的にも若返っている気がするのはわたしだけ?
見る目線によっても全然違う。たぶん、子供の目から見たら同じようにおばさんなのかも(笑) でも、だからといって彼らと同じ目線で見る必要は全然ない。
彼らだって子供だからと一括りされるのは面白くないと思う。世代を超えての違いは、それはそれで楽しめばいい。
今の自分の目線から見れば、自分より上の年代の方で素敵な人がたくさんいることを知っているので老いることに対しての不安は全くない。個人的なことで言えば10年前の自分より今の方が数段素敵と思えるので今後が楽しみだったりします。
それに母親の変化も大きいです。子供の頃の母は素敵には見えなかったけど今の母は輝いて見えるのです。年齢を重ねた分だけの美しさを放っている姿を見て嬉しく思うし、自分もがんばろうと思えるのです。
そして、でも、なぜなんだろう?とも思う。普通で考えればあり得なさそうなのに現実的には起きています。もしかしたら自分の意識が変わったから周りが変化したのかも?とも思う。
ある意味自分の意識が周りを創っていくのであれば、10年前より変化した物事に対する受け止め方が欲しい現実を創りだしていったということになる。
自分がこれだけ変わったのだから見方が180度変化していても不思議ではないのかも。
そう思うと嬉しくなるし、これからの人生も楽しみになります。誰かに対して良いイメージを持ち続ければ気がつけば良い結果に繋がるのかもしれない。思いは伝染するし相手に影響を与えるのは間違いがないのだから。
もっと誰かを愛したいと思う。愛されたいという気持ちももちろんあります。でも、愛されるのを待つより愛する方が早いし簡単♪ 誰を愛してもいい。
今朝見た夢は、それを暗示しているかのようなものでした。色々な人がやってきます。その中には女性もいて「わたしを受け入れる気持ちになったらでいいから」と言ってくれました。最初は同性愛?と思ったけど別に愛することに性別は関係ないと気がつきました。
また、様々な思惑を持っていたり問題のある男性もやってきました。でも、わたしの答えは同じでした。愛されたければ愛します。勇気を持ってやってきたあなたを祝福します。あなたを受け入れます。
夢を見ながらも、わたしの意識は少し戸惑っていました。でも、いい気分だったのです。そこにいるどの役割の人間も全部自分のような気がしたり、境界線がないというか全部が一つになったような感覚。
もしかして無条件の愛の扉がオープンし始めたのかも?を予感しました。
傷つくこと、巻き込まれることもあるかもしれないけど怖れず開いていこうと思う。すべてのことに偶然はないのだとしたら、出合う人は縁がある人。自分が関わりたいと思ったり関わりたくないと思った人も縁のある人なのかもしれない。
仕事でも恋愛でも関わりを持つということの意味を信じて誠実に対応していこう。自分の愛を信じること、が今後のテーマと受け取りました☆