Love myself
自分自身を愛する
「わたしは自分自身を愛している」と本当に言える人はどのくらいいるでしょうか。そんな風に言ってしまったらいい気になっていると誤解されるような感じがありますよね。ちょっとうらやましいような、またはちょっとおかしい人、ナルシストみたいな印象も。だからでしょうか、素直に「そうです!」と言える人は少ないように思えます。特に日本人はね。
このページでは、わたしの子供時代と家族について少しだけふれてみようと思います。平均的な家庭に育ったわたしですが、心理学を学ぶにつれて、実は、ちょっと変わっていたのかな?と思うこともあります。
今の自分が自分を認めたり愛する,ことが普通にできるのも、物事をなんでもいい方に考えたりする癖がついた(打たれ強い)のも、幼少期の教育の賜物かなと思います。だけど、その当時は当然理解できませんでした。悪く言えばトラウマもたくさん抱えています。その辺もふまえて参考になればと思います。
わたしの子供時代〜親との関係
まず、わたしの育った環境についてまとめてみます。父は大工で寡黙な人。職人のイメージでしょうか頑固一徹に見えました。子供が喜ぶカレーやハンバーグは食べず、焼き魚と煮物を母は別に用意していました。「そんなものは女子供が食べる物だ」と言っていたのを覚えています。
だから父は遠い存在で、あまり話をした記憶がありません。今でも2人きりになると居心地の悪い思いをします。でも、職人としての父を尊敬していました。仕事場に遊びに行き、作業をしているのをよく見ていました。わたしがデザイナーになって手に職をつけようと思ったのも『職人』に憧れていたからです。
母は逆にすごくおしゃべりで、遠くにいてもどこにいるかわかる位、声のトーンも高く賑やかな人でした。母の生い立ちは大変でした。戦争で父親を亡くし、女手ひとつでがんばってきた母親も過労で他界。まだ中学生なのに弟とも離れ、親戚に身を寄せ働き必死に生きてきた人です。
だから父と見合いで結婚してからは、家族をすごく大切に全力で守ってきたんだと思います。家族だんらんをなによりも重視して、夕食後には必ずおやつの時間があり、宿題が途中だろうがなんだろうが強制召集され、話し合いの時間がありました。
しつけにも厳しく、特にわたしは長女であった為、よくけんかをしました。大人になって聞いた話によると、母の経験からいつ何が起きても対処できるように、一人でも生きていけるように20才になるまでは親の責任であるし、厳しくしたと話してくれました。その時は妙にじーんときました。
しかし子供の頃は母の厳しさが理解できませんでした。友達と意見の食い違いなどがあり、母に同意を求めた時、「相手の立場も理解して、こう考えてあげなさい」と言われすごく悲しくなりました。わたしはただ「そうだね、真弓は悪くないよね」とよしよしして欲しかっただけなのに冷静に説教されてしまい気持ちの持って行き場がありませんでした。
常に冷静なカウンセラーのような中立的な母でしたので、その度に深く傷付き、感情で訴えても無駄なんだと妙に冷めて理屈っぽい子供になったような気がします。でも、そのおかげで客観的に自分を見たり考えたりすることができるようになったし、感情は別に使い分けたりすることもできるようになったのです。(これはよかったのか悪かったのか未だにわかりません)
だけど本当に厳しくて、息がつまるような毎日でした。母の『いい家族ごっこ』に巻き込まれて迷惑だと思春期の頃は特に思っていました。また、母が思春期の頃の親との対立を経験していなかったせいか、心理的に理解できないはずだと決めてかかっていたので、とてもひどい娘でした。
妙に理屈を並べるのが上手く、理論武装して言い負かそうとしていたので、あの頃の自分の言動のひどさに今でも申し訳なく思っています。実際どう扱っていいかわからなかったと後日母からも聞かされましたし(笑)