Child heart
大人びた子供
学校での子供時代
そして、わたしはすごく優等生でもありました。特に小・中学生の頃ははきはきして積極的でもあり、児童会長・生徒会副会長を務めたりしています。いい子でいるメリットを充分享受する反面、同じ行動をしても自分はすごく誉められたり評価されるのに、そうでない子もいるということも知っていて不公平感を感じていました。
いたずらをしても大目にみられる自分、ひいきをされていることに対する引け目と、大人に対する不信感も感じていました。
唯一の欠点は運動が苦手なこと。苦手どころか致命傷と言ってもいいくらいの運動音痴でした。
例えば自習時間が、たまに校庭でドッジボールになったりすると、ほとんどの生徒は歓声を上げ、粋な計らいの先生に感謝したりするのですが、わたしだけは憂鬱でした。静かにドリルをしたかったとガックリとうなだれ先生を恨んだものです。その位嫌いでした。
なにしろくじ引きでわたしが同じチームとわかると、たちまちがっかりされる位、にぶかったのです。身長が学年でも1、2を争うほど高かったので、運動ができないと本当に目立ちます。たぶん体力的には、そんなに劣ってはいなかったはずです。その証拠に体育の教師には、ことごとく嫌われました(笑)
「できるはずなのに、なんで一生懸命やらないんだ。」と真剣に叱られたこともあります。勉強ばかりやって、いい気になって、真面目に運動には取り組んでいない、こいつは馬鹿にしている、という評価だったのかもしれません。
そんな感じ(被害妄想?)だったので益々やる気が起きず悪循環に陥っていました。成績優秀・品行方正の学級委員長を歴任しているわたしとしては大きくプライドが傷つき、たぶん本当に気持ちの問題だったような気もしています。
その位、些細なことで子供の気持ちはキズつき、強い思い込みと共に自分というものを形作っていきます。一度こうだと思い込むと、それを裏付ける事実にばかり目を向けることになるので、「ああ、やっぱりそうなんだ。」「がんばっても無駄なんだ。」と決め付ける歴史になります。
でも逆に、これがあったから必死に勉強し、いい子でいようと努力したんだと思います。そうでなければ自分の居場所はないと思っていたのです。自分を評価してくれる人の前では、とことんアピールし好意と賞賛を勝ち得てきたのです。その目的は、ほぼ達成したと思います。
いい子でいた理由は他にもあります。
妹は年子で生まれました。未熟児で身体も弱く「長くは生きられないかも」と医者にも言われ、ずっと病院通いが続きました。ちいさいわたしを連れていくこともできず、親戚や友人、近所の家に預けられる毎日。
当然、大人達の中でいい子でいることが必要であることを子供ながらに理解し、いい子でいないとお母さんが困ると思い、聞き分けのいい大人受けのする子供の出来上がりです。大人たちに誉められることが心地よかったのもホントです(笑)
そして妹に対しても、本当に弱かったせいか嫉妬の気持ちもなく、とても大切に思っていました。だから自分では問題はなく、インナーチャイルドワークをする必要は全くないと思っていたのです。
そう、大人になるまでは・・・ずっと・・・