Diary
トラウマ理論 2015.5.27 WED
今現在大学で心理学を再び学び始めているのですが、さすがに十数年たつと色々変わってきているな〜という感じです。
でも、実は元々各派によって違っていて当たり前で今更驚くことでもないような気もしつつ、単に自分が受け取るキャパが変わってきただけのようにも思うのです。
学べば学ぶだけ、知れば知るだけわからなくなる
これは学問の世界だけでなく、あらゆる世界の定説と言っていいかもしれない。
実は私たちは、その時知らなくていいもの、知らない方がいいことはスルーしてしまう性質があります。
そして、やがて、それに向き合う準備ができた時に知ることができるようになっているのです。
そうでなければ最初の一歩で戸惑い先に進めなくなってしまうこともあるから。誰だって混沌とした中を迷わず進むには困難が伴います。
なので、とりあえず見えている明るい部分を目指して一歩を進めることになります。慣れてくればもっと遠くまで見渡すことができるので次の手も打てます。
さて、私の場合はどうであったか?
今ぶつかっているテーマは【トラウマはあるのかないのか?】です。【過去を思い出すことで偽りの記憶を作ってしまう可能性はないのか?】も含めます。
現代の心理学に合わせれば催眠療法は古いということになります。フロイトが催眠療法を自由連想法に変化させたみたいに変えていく必要があるのだろうか?
偽りの記憶を植え付ける可能性を排除するために、トラウマは思い出させない方がいいのか、心的リアリティとして尊重して大丈夫なのかどうか?
でも、心の中では全部ありだとわかっている自分がいるのです。他の人から答えを求められたら明確に答えるだけの材料がないだけなのです。
まあ、だから大学で勉強しているのだと思います^^
人に伝えられる語彙力や表現力をつけるための学び。
今の段階で答えられるとすれば、今私が行っていることは間違いなく役に立つと思ってやっている・・・これだけです。
人それぞれの段階があり、このセラピーがどうしても必要な人はいるということです。過去の自分が受け取った経験がそれを力強く肯定しています。
だから迷いはありません。
でも、まあ、そればかりかと思われても事実とは違うので、やはり、ここを通過した後に経験した学びも生かしていこうとは思っています。
それは別サイトということになるので作業を進めなければとわかっているのに進めないのには理由があるのかな。
ここでの成功体験に執着しているのかも?^^
または、別の理論に移行してしまうと、今まで信じてくれた人を裏切ってしまうことになる・・・とおそれている自分がいるのかもしれない。
ここを続けながら別のセラピーを始めることに矛盾を感じているのかもしれないし、上手く両立していけるか不安なのかもしれない・・・。
でも、本当にそうか?と問いたい。
単に新しことを始める勇気がないだけなのでは???
慣れたものは楽なのは当たり前。それなりに実績があるのだから、相反するものに関わって元も子もなくしてしまっていいの?と思っているだけかもしれない。
ここでも出てくるのがトラウマ。
実際のセラピーが必要となるレベルのトラウマではないものの、でも、これもやはりトラウマです。
過去になんらかの原因があり現在に好ましくない影響を及ぼしているのに違いはありません。
そして、セラピーが必要となるレベルではないというのも思い込みで、人によっては十分に取り組む価値があるテーマです。
なにしろ、取り組むことで前に進めるのであれば行う価値はあると感じるはずです。結果が得られれば満足できるのは当然で誰にとやかく言われる筋合いの話ではありません。
原因と結果の法則は古いと思う考えもあるけれど、場合によっては役に立ちます。そもそも古いとか新しいとか、それが何?とも思うのです。
もちろん、両方の意見が自分の中にはあるので、それはそれで矛盾しそうな気もしますが、その時に役に立つものを優先するという考えなので矛盾はありません。
セラピストとしては優秀(笑)、でも、個人としては活用不十分というところがもったいないというか人間らしいというか^^
でも、それが今の自分なのだと思います。
その内統合されて大活躍できればいいなと思いつつ、そうなってしまったら悩める人の気持ちがわからなくなってしまうかも?とおそれています。
…↑たぶん、これがブレイクできない一番の原因ですね^^