Diary
慈愛の雨 2012. 3. 9 FRI
一雨ごとに春が近づいていくとはいえ、まだまだ雨の日は寒いです。花粉症の人には丁度いいみたいだけどね^^
最近は震災から1年ということで、あちこちで特集が組まれているけれど、果たしてどうなのかな〜と思うと見るのがためらわれます。
引き寄せの法則に共感し、実践し始めている身としては、見てしまうことで再び力を与えてしまうような気もしつつ、でも、人としてスルーもできず中途半端でいます。
震災に限らず戦争や事件にしても同じことだと思うと、知ることの是非について色々考えてしまうのです。
バランスなのだと思うけど、何かを思うとか考えるということについて責任を感じ始めているみたい。自分が思うこと、信じることが世界を作るのだとしたら、何を思えばいいのだろう?とかね・・・
もちろん、反射的に「それ」を悪だと思うことも、また、何か問題な気がするし、思考をコントロールすることや発言することに囚われてしまうのも、良いことだとは思えないのです。
でも、明らかなのは、より良く生きたいと思うこと、正しく楽しく愛のある生き方をしたいということだけは間違っていない気がします♪
常に真実を見ていたいし、堂々と自分らしく発言していこう!という気持ちは変わっていないです。素直で正直でクリアーでありたい。
誰に対しても公平でバランスのとれた対応をしたいし、ハートで伝え合える関係でいたいと思います。
・・・うん、これだけわかっていれば大丈夫かも^^
そして、やはり、このように自分の中がクリアーになってくると自然と涙が出てくるみたい。ちゃんと内側が応答しOKを出してくれているような・・・
涙は浄化の証、慈愛の雨のよう
自分にできることしかできないし、今できることにベストを尽くすと決めたら、後は目の前にあることをただ行うだけ。きわめてシンプル。
来るものは拒まず去るものは追わず
今という一瞬一瞬しかないということは、ずっと前からわかっていたこと。やらなかった過去を悔やんでも仕方がないし、まだ見ぬ未来を憂いていても仕方がない。
つまり、震災の報道も見たかったら見ればいいし、見たくなかったら見なくていい。全てタイミングなのだとしたら必要なものは受け取るということ。
無理してコントロールすることなく委ねればいい
自然に耳に入るニュースも、気になれば聞けばいいし聞かなくても気にするな・・・ってことだよね。
どっちにしても起こることは起こる
天の配剤ということを信頼して、今の自分がする必要があると思うこと(したいこと)を行い、余裕があれば他のこともすればいいってことだよね!
確かにがんばってもできないことはできないし、したくないことをし続けることは難しいです。
そして、やりたくなくてもやらなければならないものなら、さっさと終わらせるべし
たぶん、その気になれば、あっという間に片付くはず。今までもずっとそうだったよね?そのことを信じて現実を創ろう^^