Diary
家族の時間 2006. 5. 7 SUN
今年のGWは久しぶりに充実した休日だったと思う。それは、それぞれが大人になったことを実感したからです。
事の起こりは親戚の不幸です。長い間入退院をくり返し、そろそろ・・・と心の準備をしたのが先月の20日頃。子供の頃に祖父代わりとしてお世話になった方だったので、いざという時には駆けつけようと覚悟していました。
しかしタイミングが悪く、わたしだけ参列することはできませんでした。友引で延期でなければ完璧なタイミングだったのに・・・でも、わたし以外の人にとっては一番良いタイミングでした。多くの人が参列できるように頑張ってくれたのだと思います。
わたしの場合は参列できなくても問題ないからいいということかも。以前と違って死に対しての認識が変わってきているので、肉体は離れたとしても悲しむという感じではありません。むしろ長い闘病生活から解放されてご苦労様と言う感覚の方が近いです。
そんな風に思う人は、残された家族にとっては理解できないだろうし・・・頭ではわかっていても感情では死をポジティブには捉えられないと思う。悔いが残っていれば尚更のことです。
他人の死が伝えてくれるメッセージは何か?
それは、悔いなく生きろ、ということです。
誰かの死に直面して初めて、生きると言うこと、人生の意味に向き合うことができます。病死の場合は、それでも心の準備ができます。
残された時間を相手の方と共に過ごすこともできるし、伝えられなかった思いを伝えたり、一緒に何かをすることもあるかもしれません。
でも、事故死であれば何の心の準備をすることもなく、ある日突然消えてしまうのです。
これらの死が伝えてくれることは何か?
今の自分の人生に向き合うきっかけにしろということです。身近な人の死を想像してみる機会です。毎日当然のように思って大事にしてこなかった部分に気づくことができます。
今回のことが起こる少し前から両親の死について考えていました。死まで行かなくても病気とか老後とか全然他人事という訳にはいきません。
もちろん、できるだけ元気で長生きして欲しいと思うのは誰でも同じです。そういうことを考えるということは大人になった証拠でもあります。
ネガティブなことを考えるとネガティブな現実を引き寄せる・・・のは事実だけど、絶対に避けられないものは見て見ぬ振りをしないで現実的に対処する必要もあります。
5年後、10年後・・・そんなに希望的観測をしていていいものかどうか(笑)
そして我が家は家族会議を開きました。両親の今後について姉弟間の考えを調整し確認することになりました。いつになく真面目な話し合いをして、お互いの本音を聞くことができ有意義だったと思います。
もちろん個々に色々話していたことのまとめでもあり、特別すごい発見!ということもなかったけど全員が集まって話し合ったのは初めてだったので少し緊張しました(笑)
そして改めて、このように腹を割って話し合える家族がいることに喜びを感じます。できれば、このままこじれることがなく、ずっと過ごしていけたらいいなと思います。
それには、やはりお互いが幸せであることが前提だと思うのです。誰か一人でも不幸であれば、そのようには思えなくなるからね。そういう意味では、健全な育て方をしてくれた両親に感謝以外の言葉はありません。
決して裕福でなくても幸せになることができる、ということを教えてくれたのだと思います。そして、それは一番の財産だったかな(笑)
自分の力で幸せを作る力を与えてくれたのだからね。そして、それもやはり、それぞれの両親から受け継いだものだと思います。祖先にも感謝です。
・・・結局このパターンになりました(笑)
でも、決して特別な家系ではないですよ。ごく普通のどこにでもある家族です。ただ一つ違うとすれば、わたしがセラピストだということです。
だってセラピストが家族と上手くいってないなんてシャレにならない・・・と思い込んで頑張ったのも役に立ったみたい(笑)
ハートを開いて相手と向き合うことができれば、ちゃんと気持ちは通じ合います。だって家族だからね。20年前には考えもつかなかったけど今は確信を持って言えます。
そして、言える自分が幸せだと心から思う。諦めなければ道は開けますよ♪