Diary

旅の収穫                 2004. 8.25 WED

なぜ人は旅に出るのだろう?

ここで言う旅は友人や家族と行く観光ではなく自分自身と向き合う旅。そんなに頻繁にはないだろうけど、ある日急に訪れる。そんな時はすべてがタイミングよく、なんの障害もなく実現したりする。そして帰ってからもしばらくは余韻が続く。

場合によっては人生を左右するような決断のきっかけになることも。日帰りだって近所だっていい。一人になれる空間を持つことは大切。

わたしなんて一人の空間は日常でいつでも持てるくせに、でも、旅に出ると特別な空間を得ることになる。とても不思議・・・

今回の目的は鞍馬山に登ることだった。一人でもよかったけど鬱蒼とする山で人通りも少なめなので友人を誘った。一人で登ったら降りてこなくなるような予感もしていた(笑) 神隠しではないけど超越し過ぎて別の次元に誘われそうな恐怖もあった。

一緒に行った友人は地元なので単独で月イチ位は登ると言うツワモノ。わたしも、そのうち行けるといいな、と思いつつ、やっぱりコワイ。海外では平気で一人歩きするくせにね。

台風が接近していてお天気は荒れ模様。山に登る頃には雨が降り始めていた。霧が出てきて益々うっそうと神秘さを演出しているよう。本当に仙人とかが出てきそうな雰囲気。もやがかかり神経は張り詰め感覚は敏感になっていく。

すれ違う人も多くはなく特別な空間が広がっていく。こういう所で修行とかするんだろうな、と思いながら木々の間を歩く。日頃の運動不足もあり登りの道はかなりキツイ。でも、清々しい気持ちなのは空気が澄んでいるからだと思う。

本殿には前も来た記憶はあるけど今回は地下にも行ってみた。一人だったら 入っていいものなのか躊躇する場所で再び友人に感謝。厳かな雰囲気と美しい仏像と出会い感動した。

先手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊の三尊尊天像が奉られていて暗闇の中、各自電気をつけて拝むことができます。

一人で置いていかれたら泣きそうな位真っ暗です(笑) でも、いつかは一人でもお参りにきたいと思いました。

下りの道は根が無尽蔵に連なり、まるで物語の中にタイムスリップしている感じ。そして、あるポイントに来ると左側の枝道が気にかかりました。何かが呼んでいるような感覚。

写真を撮る為に離れていた友人が側に来たので告げると、その奥に山一番のパワースポットがあると言う。

以前別の友人と来た時は行かなかった道。男女のカップルも、やはり通り過ぎて行った。山を知り尽くしている友人に感謝しながら進む。大杉権現社と呼ばれる場所で龍の形に見える木がそびえていました。

雷が落ちて変化したらしい。天に吠えるような龍の姿。とても美しく、そして親近感が湧いてきた。上手く言えないけど彼?に呼ばれたような気がした。おかえり!って。

山を下り貴船神社に。ここは水の神様を奉っています。絵馬の発祥の地でもあるらしく2体の馬の像がありました。川の流れを見ながら休憩し色々と思うことを話しました。

今回の旅の事、今までの事、コレからの事・・・とりとめもなく思うままに。

なんだか山の神様、川の水、空模様、すべての存在が見守ってくれているような感じ。話しているというより自分に言い聞かせているみたい。そして、ここのところずっと読んでいた老子と荘子についての理解がまとまっていく感覚がありました。

自然の中で、この場所で、言葉を引き出してくれる友人がいて、それに答えながら自分の言葉で彼等の教えが浸透していることに気づく。ああ、いいんだな。ちゃんと理解しているんだなと勇気づけてくれているよう。ここにきてガツンとはまった感じがする。

その為にここに来たのだとわかった。家では頭の中でわかっただけだったのが、自然の中で大地のエネルギーを感じ、霊的なインスピレーションを感じる場所で最後の理解に繋がる。

もちろん、これからも学びは続くのだけど、理屈を超えた感覚はこういう場所で得てその後に活かせるのだと思う。

一度この感覚を得るとずっと忘れることはない。思い出して繋がることは瞑想でも可能だからね。

その日の夜は神経過敏になって大変なのかと思ったけどそうでもなかった。完全なる闇を体験した。普通であれば目が慣れて色々見えたりしがちなのだけど不思議と深い闇、真っ暗で安心できた。月が隠れていたのかもしれない。

深い深い漆黒の闇。たぶん今まで経験したことのない深さ。何も見えない。果たして自分がいるのかさえわからない感覚。そして規則正しい音が響いてくる。自分の心臓の音?とも思ったけどそうでもなさそう。

聞いたことも表現できない音が聞こえてきた。でも、耳で聞いている感じではない。やはり心に響いてくる音。身体全体が宇宙の闇に広がっていくような心地よさ。

翌朝は爽やかな目覚めでした。どこに行こうか散々迷った挙げ句、下鴨神社に行こうと決めた。糺(ただす)の森という美しい木々の中を歩きたいと思った。

最初は大徳寺に向かった。ここに来たのはガイドブックに載っている近くのゆばのお店でランチをとりたかったから(笑)

思いきって湯葉三昧のコースを注文したかったけど残念ながらランチのみ。でも充分に満足できました♪ そんなに空腹でもなかったのにぺろりときれいに平らげました。

下鴨神社もガラガラでびっくり。お天気のせいもあったけど今のシーズンは一番穴場だったらしい。ほぼ貸し切り状態で静かに過ごすことができた。糺の森は素晴らしかった。

優美で上品な感じ。さすが葵祭をする場所。雅な雰囲気に包まれました。そしてずっと木々の中歩いているとお経が聞こえてきました。

正しくは自分の中で響いてきた音です。ご先祖のお墓をお守りくださっている和尚様の聞き慣れたお経です。今までこんなことはなかったので自分でもびっくりし、でも、それき気づくとともに涙が溢れてきました。

先祖からの守護を思い、また、歴史に息づいた魂である先人からのメッセージなのかもしれないと思った。感謝の気持ちで嬉しくなった♪

そして京都御所に向かいます。全然行く予定ではなかったけど急に行っておいた方がいい気持ちになったのです。すぐそばの梨木神社にも立ち寄ります。

京都では一番澄んだ水として有名な場所。多くの人がペットボトルを持ち列を作っていました。もちろん、わたしも(笑) そして御所へ。

ただただ広い空間が広がり言葉もありませんでした。歴史の場面が浮かんできて空と木と大地、人って小さいなと感じました。横断しベンチで休憩します。次はどこへ行こう? するとハト達がたくさん集まってきます。

人を見るとエサがもらえると思ってきたのかな、と思い無視すると、突然一気に飛び立ちます。あきらめたのかな〜とのんきに思っていました。

間もなく夕立ちに巻き込まれ傘を置いてきたことを後悔しました。そして、あのハト達は伝えようとしてくれたことに気づきました。あの時それに気づけば、もう少し早く対処することができたのです。

侮っていたこと、耳をかさなかったことが哀しかった。バス停に向かうも少し前に通過したばかりでした。雨足は強くなってきます。

道端の大きな木?の陰で雨宿りしながらタクシーを待つ。するとすぐに現れ乗り込むことに成功しラッキーと思ったのです。でも、しばらくすると疑心暗鬼の気持ちが芽生えてきました。メ

イン通りが混んでいた為、回り道をしてくれていたのですが、わたしにはわざと遠回りしているのでは?と思えてきたのです。

陽気で親切な運転手さんだったのに、道に不案内なわたしは心配になってきて疑うようになりました。無事に辿り着きガイドブックで確認したら妥当な料金であることがわかりホッとしたのだけど、逆に自分の心の狭さに恥ずかしくなった。

最初は楽しく話していたのに途中から不機嫌になったのは彼も気づいていたと思う。本当に申し訳ないことをしたと反省しています。

不満であれば最寄りの駅で降りるとか手はあったはずなのに、本当はどうなのか見届けたい思いもあった。果たしてだまされたのかどうなのか。真実がわかり安心したけど相手にぶつけた態度は取り返しはつかない。つくづく自分の嫌な部分に気づき恥じた。

今回の旅は両面の自分に気づくことができた。悟りを得たような広い無限の領域に到達できた感覚と、それを感じながら尚、未熟で狭量な自分。まだまだだな〜と思う。でも、いつも両方は同時に起こるような気がする。

たぶん、テンション高いまま戻ってきたらごう慢になって勘違いしていたかもしれない(笑)

だから、やはりこれも必然だったのかなって。いつか平常心でいられるようになったら、逆の体験もしなくていいのかな。でも、その部分も人間的かな?と思うから悪くはないかも。

サービス業の人は辛いよね。その時の気分で直接悪くもないのに当たられることもある。わたしも同じだからわかる。だから、せめて、その人達に、すぐに忘れられるように、その後の出会いでいい事が起こりますように☆

いいこと、素敵な体験にもいっぱい立ち会える仕事だからね。お祈り申し上げます♪

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