Real ?

記憶は正しいのか?

退行催眠療法などで導き出された記憶が果たして正しいのか?という疑問について考えてみたいと思います。

以前TVの番組で見た、米国の女性が、ふとしたことから子供の頃の記憶が甦り、それは自分の父親が友達を殺したという記憶で裁判になった1990年の事件です。

その時は関心も薄く曖昧な記憶でしたが、後日偶然手にした2冊の本に書かれていて再び思い出すことになったのです。それらの本によると、20年後に思い出された記憶によって、結局、父親は有罪の判決を受けたのです。

アイリーンが語るイメージは実に鮮明で説得力にあふれていたため、陪審はわずか一日審議しただけで、フランクリンを第一級謀殺で有罪と評決した。評決はその後、カリフォルニア控訴裁判所によって支持された。抑圧されていた記憶が甦って、それが一人のアメリカ人の有罪の決め手となる最も重要な手がかりになったのは、歴史上例を見ないことだった。

『記憶は嘘をつく』 ジョン・コートル

「セラピーのときに浮かんでくる記憶は、無条件に信じられるか?」という質問にたいして、現時点では、明確に答えることはできない。だが、トラウマ理論の経験的な研究による認識を、もう一度よく見てみると、トラウマ理論を疑ってかかるほうが少なくとも的を得ている。トラウマ療法家は自分の仕事を絶対の自信を持って正当化しているが、その地盤が特別に安定しているわけでは、けっしてない。

『傷つきやすい子どもという神話 トラウマを超えて』 ウルズラ・ヌーバー

裁判には担当のセラピストも証言台に立ち、自身も有罪の判決に驚いたことが後に語られています。その後トラウマの告発が相次いで起こり一大ブームになったそうです。日本でもここ数年だと思う。アダルトチルドレンという言葉も流行りました。

トラウマは確かに重要な心の問題です。でも、事実かどうかは関係がないのも事実です。自分が辛いと思う理由を過去の出来事に置き換えているだけだとしても、それを癒すことで楽になるのならそれでいいと思う。

以前ひったくりの被害に遭い、何時間も警察署で調書を取られたことがあります。一瞬の出来事だったので犯人についてなにもわからないと伝えたのですが、何度も何度も同じことを聞かれたり、雑談混じりにほのめかされたりするうちに、なんとなくそんな気になって(誘導尋問?)話を合わせてしまった経験があるのです。

自分でも驚き、また、すごくこわく感じました。それ以来、真実というものについて深く考えるようになりました。できることなら2度と証言するような立場にはなりたくないです(笑)

真実は場合によって違う

セラピストとしてセラピーで起こった出来事について全部を信じている訳ではありません。かと言って嘘をついている訳でもない。それは見方の違いなのかなと思っています。

ある人にとって真実でも別の人は違うと感じるかもしれない。同じ人でも状況によって別の見方をすることも多々あります。

その時々の立場によっても違ってきます。歴史をふり返って見ても、どちらを主役として描くかによって敵味方も変わってくるし、出来事の意味も全然違って見えます。

そうすると何が真実か?なんて全然わからなくなってしまいますよね。

たぶん、本当の真実は誰にもわからないし、そのことを云々することも意味がないかもしれません。時間と共に記憶は変わります。受け止め方や感じ方も変化します。それは、その人の経験や成長の度合いによって見方が変わってくるからです。

その時は許せないと思ったものが許せるようになることもある。

・・・・これは結構素敵でしょ(笑)

1回セラピーを受けただけで、その後の見方が変わり世界が違って見えることもあるのです。多くの人がカウンセリングの段階で話されていたことが帰る頃には全然別の見方に変わっています。絶対不可能だと思っていたものが、そうでもないことに気づけたり・・・

ホント不思議。だから、ある意味、記憶は見方と共に変わっていくでOKだと思います♪

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