Diary
ネガティヴな情報 2011.10.15 SAT
自分が受けとるものはコントロールできる・・・これはある意味正しいけれど、場合によってはそうはならないこともある。
それは、どうしても普通の状態で受け取らなくてはいけないものを受け取らない場合は、やむを得ずネガティヴなルートで受け取るということです。
ネガティブな方が引き寄せる力が強いから仕方ないのだけど、それに気づくまでは不快な気分を引きずることが多いのも事実。だってネガティヴだからね^^
では、なぜシンプルな方法で受け取らないのか?それはシンプルな方法では受け取れないくらい素直ではなくなっている・・・・という印なのです。
なんでこんなにややこしくしちゃったのかな〜と思うけど、そのことに気づけただけでもよしとしようと思う。
とにかく受け取ったのは確かなのだから、受け取ったことを表明しないといけないよね。そうしないと今後も何度かくり返すことになるのはまちがいないのだから。
今回の私の身に起きたことは訃報というかそんな感じ(一部未確認)です。年齢的な面もあるけど避けては通れない問題でもあるよね。
それに対して向き合えなかったというか知りたくないと避けている部分がありました。知ってしまえば心も痛むし向き合わなくてはいけない。面倒なことを避けたい気持ちと、どんな態度をとっていいかわからず・・・という状態です。
大人としては恥ずかしい行為だと思います。一人前の社会人としてあってはならないことかも・・・でも、向き合えなかった。職業的な部分もあります。
私はどの立ち位置にいるのか?どう振舞えばいいのか??
3/11の震災に対して感じていたことも同じ。結局ここに返ってくる。
辛い情報から何を得ることに決めるのか?この出来事は自分の人生にどう関わってくるのか?ネガティヴな体験が教えてくれること、受け取らなくてはいけないこと・・・
自分に直接関係あろうかなかろうが同じ。知ったからには意味があるのです。当然知っているはずのことでも、一度は知ったとしても忘れてしまったことも多いはず。
くり返し上がってくる思い、直面しなくてはいけないこと、避けられないことには意味がある。
人の死や不幸が伝えてくれることは何か?決して不快な気分を味わうために受け取るのではないはず、ネガティヴなことが起こるのはなぜか?
偉業を成し遂げようか、無駄な生き方をしようが、他人に迷惑をかけようが、何もしなかった人であろうが誰にでも共通で訪れるもの。それを通過することで影響を受ける周囲の人達、無関係な人達・・・
様々な思い、思惑、物質的精神的感情的様々に波及すること。そして過ぎ去ること、残ること・・・
たぶん、それが全てなのだと思う。選択するしないに関わらず巻き込まれることも全て意味があるのだと思う。
自分の人生になにをもたらすか・・・そのとき何を感じるのか、決めるのか
以前アカシックレコードのゲリー・ボーネルが言っていたことが思い出されます。『レスポンス』・・・が全てなのかも・・・
どう反応するのか決める。そのために色々な情報を得るのかもしれないと思うのです。
今の私が思うのはただ一つ。「よく生きているか?満足いく生き方をしているか?」です。いつ死んでもいいように毎日精一杯生きているか?
私達はいつ死ぬかわからないのです。善人であろうと悪人であろうと等しく訪れるものが【死】です。若くても年をとっていても保証はどこにもない。
前世療法のセラピストである私は、様々な死と向き合っているはずです。数え切れないくらいの声を聞いているし直面しているのに、頭ではわかっているはずなのに・・・
セラピストとしての自分と生身の自分のギャップ。でも選んだのは自分。誇りに思っているし悔いはないです。全うしていく意欲も衰えているわけではないです。
シンプルに生きよう!
私は私でしかないし、自分の決めた道をただ進むだけ。