Diary
自分に起きる奇跡 2006. 3.22 WED
ここのところすっかり平和な日々を送りつつ、もう、自分には奇跡は必要ないのかも、と思っていました。少し淋しいような、でも満たされているような不思議な感覚です。
一時期は特別なことが起こる度、運命や神を信じる気持ちになれたので多くの体験を求めていたのです。それは、たぶん、誰もが望んでいることだと思う。
これは奇跡だ!と思う瞬間、何とも言えない高揚感と至福感が訪れるのでホントに心地がいいのです。ある意味、その感覚に中毒してしまうこともあります(笑) もっともっとと求めるあまり現実逃避が過ぎてしまったり地に足がつかなくなってしまいます。
その究極的な体験を、わたしは2003年にセドナで体験しました。今まで学んだり知りうる全ての終結のような出来事が起こり、もう充分だと思えたのです。まさに「わかった」という感覚。もうこれ以上は求めなくても大丈夫という風に感じたのです。
それからは現実レベルの中に隠れた真実を見ることが可能になり、文字通り「地上に天国がもたらされた」と言ってもいいかと思います。今ここにいる幸せを感じられるようになったのです。
オーラソーマではマジェンタの色に表される「神聖なる愛、小さきことの中にある愛」です。 日常の中に愛を見出す知恵を実践する日々になりました。
でも同時に別のチャレンジがやってきました。それは、いかにして、その感覚を伝え広めていくかという学びです。
自分が知ったから、わかったからと言って、それで終わりではありません。本当に理解したかをテストする為にも、それを他の人にわかち合っていく必要があります。知る、ということは伝えていく使命へと繋がっていくのです。
自己満足では終われない。どうやら次の役割を引き受けることとセットになっている様です(笑) まあ、考えてみればそうかもしれない。何事も繋がっています。
子がやがて成長し親になるように、新人が先輩になりベテランになるみたいに、生徒もやがて教師になっていくのです。
いつまでも生徒でいれば楽かもしれないけどね(笑)
だから、なかなか次に進まない(奇跡が起きない、何かを得られない)人は、実は変化を恐れたり受け取ることを望んでいないだけなのかもしれません。
確かに周りを見回してみても・・・!
では、自分の周りに奇跡が起き始めた、ということは次の準備を受け入れたということになります。覚悟ができた、ということになるのかな。
実はHPのリニューアルのついでにボトルの写真を撮り直していたのです。
以前のままでも綺麗なのだけどボトルによっては色味が不十分なものもあり、最初は数本のつもりでしたが、どうせなら、と一通り撮り比べることになり、気がついたら丸二日を要することになったのです。
自分なりのポイントとしては光と影のバランスを大切にしているので、微妙な影は効果的だと感じています。だから、単に白く飛ばしてしまってはいけないので撮影の角度やポジションに気を配る為、どうしても無理な体勢になってしまうのです。
そのせいか腰を痛めてしまい、まるでぎっくり腰の時みたいに動けなくなってしまいました!
これはやばい・・・そう思いながらも続けない訳にはいきません。日差しの影響が大きいので時間が経つと影の位置がずれてしまいます。絶体絶命のピンチ!!
とりあえず低周波治療器で15分間・・・少しは大丈夫そう。でも、完全ではない感じ。そして、ふと思いつき1番のボトル「フィジカルレスキュー」を試してみたのです。
このボトルは身体の痛みにいいと知ってはいましたが実際に試したことはありませんでした。それは、わたし自身が身体の痛みに強い?せいか使う機会が未だなかったからです。今こそ正に、その機会だと思いました。
しかし本当のことを言うと正直信じていませんでした(笑)
ボトルを使ったくらいで治れば医者は要らない、と思っていたのです。でも、今はダメ元でやってみる価値はあると思える位、自分でも切羽詰っていたのだと思います。
すると、ホントに痛みは消えていったのです!
そんなバカな・・・オーラソーマと何年も関わっているわたしがそう思うのだから、一般の人は誰もがそう思うと思います。でも事実痛みは消えて、その後も作業を続けることができたのです。
その時の感動は言葉で伝えることはできません。正に奇跡が起きた、と思いました。そして、内側からじわじわと懐かしい感覚、奇跡を体験した時の至福感がやってきました。ああ、そういうことなのか・・・と感じました。
本当に危機に陥った時は、ちゃんと助けてくれるのだとわかりました。信じていても信じていなくても、それを使ったということは「信じている」と行動に示したのです。
奇跡であろうとなんであろうと「痛みを消したい」と願ったことに違いはありません。その祈りは届いたということです。
最近は奇跡が体験できなくて残念、と思いつつ、でも、どこかで「できるだけ自分の力でがんばりたい」と望んでいる自分もいます。神やマスターの力を借りないで人間としての自分の力でやれるだけのことをする。見守ってくれていることは知っているからね(笑)
そのことを今回のことで確認できて良かったと思います。