Diary
自分の限界を超える時 2006. 2.18 SAT
今までも何回も周期的に起こっているけど、やはり直面する時は辛い。最初のうちは気がつかない。いつもならなんでもないことが全然思うように進まない状況に陥る。なんとかしようとあがくけど空回りする。これはどういうこと?
色々考えすぎて眠れなかったり悶々とすることになる。その時の出来事を反芻し自分なりに意味を見出そうとか真実を明らかにしようと努力する。それでもわからない。袋小路に迷い込んだみたいに突破口がみつからない。もう、どうでもいい気持ちになる。
そして、やっとわかる。ああ、また壁を越える時が来たのだと気づく。すると少し安心し冷静に考えることができるようになってくる。
壁がやって来た、というより壁の所まで自分が進んできたということ。成長して進歩しているということだからよしよしなのです(笑) まずは自分を褒めてあげよう。
そして壁に直面したと言うことは、どういうことなのか少し考えてみる。今回のパターンの分析をすると、今までのやり方が通用しなかったということだと思う。つまり手強いクライアントと出会い上手く対処することができなかったのです。
最初の段階から兆候は出ていました。カウンセリング、いや予約の時から何やら違和感は感じていたと思う。でも、自分の直感を無視し進めてしまった。少し自惚れていたのかもしれない。なんとかなるだろうと高をくくっていました。
結果は中途半端に終わってしまいました。もちろん内容自体は普通に問題なくできたのです。でも、お互いに納得できるレベルに到達することはできなかったみたいです。後味の悪さを物凄く感じました。
いくら正しい結果が出たとしても理解することが出来なければ虚しいだけです。そこまでのサポートをすることが出来なかった故の後悔かな。
必ずしも全てのセッションで完璧なものができるとは限らないことはわかっています。でも、できるだけのことはやったという満足感は得たい。
それは自己満足かもしれなくても、そう思って取り組めないのなら辞めた方がマシです。常にベストを尽くす、そう思ってやっているつもり。
では、今回はどうすれば良かったのか?
一番簡単な答えは断ればよかったということになります。「君子危うきに近寄らず」という言葉もあるしね(笑)
でも、それでは何の解決にもならないこともわかります。たぶん、断った時点で相手は不快な思いをするだろうから結局は同じでしょう。
たぶんホントのところは自分が困惑していることを正直に話して相手の協力を得ればよかったのかなと思います。今までも時々は咄嗟の判断で、この手を使うこともありました。
結果は良好で、まず間違いなく、その後はスムーズに運ぶことができます。むしろ思いもよらないくらい上手く行くことも(笑)
そうか・・・今までは偶然の出来事として起こることに任せ、その恩恵を受けていただけなのかも。だとしたら、もっと自覚して力を使って行けということになる。
考えてみたら天の意思というか奇跡に頼りすぎていたのかもしれない。もっと自分を信頼していく時期が来たのかも。そんないつまでも「自分の能力ではありません」と謙遜していていいとは限らない。
謙遜と言うと聞こえはいいけど、別の言葉で言えば無責任ということにもなる。
それに、もっと高みを目指すのであれば次の段階に進まないと成長はあり得ない。いつまでも同じレベルにいていいわけがない。
・・・やはり少しキツイね(笑)
確かに今までのやり方でやっていても問題はないと思う。そして、その自分のキャパを超えるような人はお断りする方が本当は正しいのかもしれない。その方が無理もないし無難です。
でも、それでは絶対満足しない自分がいます(笑)
自分にとって相性が良かったり、やり易いクライアントさんのサポートをする方が楽に決まっています。いい仕事が出来た、と毎回満足出来るのは間違いない(笑) 心穏やかに毎日を送れるでしょう。
だけど成長はない。困難なクライアントさんに出会えば悩むこともあるし、相手に迷惑をかけることもあるかもしれない。セラピーなんてこんなものか、と不信感を抱かせてしまう可能性もあります。でも、それはそれで縁でありタイミングなのかもしれないとも思う。
もしかしたら、本当はセラピーを必要としていない人だったり、そのことに気づくために出会うのかもしれない。その人の人生に起きること、引き寄せる体験に意味があるとすれば、それは偶然ではないということになる。そして、それをわたしは信じています。
だとしたら、自分に起きることも当然偶然ではあり得ない。意味があって、その人はやって来てくれたということになります。何かを伝えるために、きっかけとして引き寄せた人。
まあ、わかっていたんだけどね(笑)
でも、こうして再確認すると腹が据わってくる。何度も何度も思うことだけど大事なことだからくり返し思い起こす必要があるのかなと思う。気合を入れるという感じかな。
起こることを信頼しようと思っているのだから、相手のタイミングも信じてあげればいいのです。今はわからなくても、そのうち理解できる時が来るってね。だって、わたしはベストを尽くした。あの時点でやれるだけのことはやった、という気持ちに嘘はない。
それに、わたしには見えているのです。でも、本人が気づかないうちは、それを伝えることは許されていない。
セラピーが終わった後に簡単な解説をしたりしますが全部を伝える訳ではありません。「これは伝えておく必要がある、ここから先はまだ早い」という感覚がやってきます。
それは、他人から伝えられても大丈夫なものと、自分が気づいた方がいいものと両方あるからです。その人のタイプにもよるけどね。
それは、ホントに勘としか言い様がないです。単なる勘というより長年の経験から裏打ちされた勘みたいなもの。刑事の勘みたいな感じ(笑)
だから人によっては全部の解明を求めて色々聞いてきたりします。でも答えることが出来ないのです。それは、自分が気づく領域のものだから。
占い師や霊能者は、この領域のことも簡単に教えてくれたりします。でも、たぶんピンと来なかったりすると思います(笑) だって、そういうものだからね。
なんとなーくクリアーになったような気がする。自分の役割、自分の信念を確認することができました。今回の体験に感謝できそう。
そして、今、ちょっとだけ次の景色が見えてきたような気もします。そろそろ壁を越えられそうです♪