Diary
致命的な判断ミス 2005. 2.17 THU
悪い時は続くもの・・・とは思いたくないけど、同時に色々発覚したり直面させられたりするみたい。ネガティブな思いは共振するのか、やはりシンクロも起きるのかもしれない。
前回の日記に書いた段階でクリアーになったと思ったけど、まだまだ余波は続く。こうなったら、とことん自分の内側を知る時なのかもと覚悟を決めた。
実は、かれこれ1週間くらい風邪をひいています。去年の今頃もこじらせていて同じようなサイクルなのかなとも思う。そんな訳で本当の事を言うと、前回遅刻を容認できなかったのは自分の体調不良もありました。
ギリギリいっぱいだったので、とても余裕がないくらいの状態だったのです。でも、あの時は、そんな自分を認めることができませんでした。
正直キャンセルになってホッとしたと、いい風に受け止めることも可能だったのです。そのことを、きちんとお話していたら、もう少し楽になれたかもしれません。
変なプライドが自分で自分の首を絞めることになりました。今は、もう快方に向かっているので全然平気!と、思いっきり油断していたのです。また、前回への罪滅ぼしの気持ちも少しはありました。「断る」ということを避けようという気持ちが2回目のミスを招きました。
昨日の夜、奥さんのセラピーを頼みたいとお電話をいただきました。通常であれば、本人以外の人がセラピーを依頼してくる場合、かなりの時間お話をさせていただき確認を取ります。
と、言うのも、ほとんどの場合はご本人は乗り気でなかったり、準備ができていないことが多い為、多少は時間をかけてご本人のタイミングを待つ必要があるからです。
また、どちらかというと、その依頼者の方が先にカウンセリングなりセラピーを受けられた方がよかったりするので、そのステップをおすすめします。
だって、依頼者の方はHPを見たりして、わたしのこともセラピーの事も調べていらっしゃるので心の準備もできていますし、相性のようなものも感じていると思う。
でも、当事者にしてみれば、なんで勝手に決めるのか?という思いもあるし、時には大きなお世話の場合もあるのです。
どんな状況であれ、本人が受けたいと思わない限りセラピーは成立しません。無理矢理連れていく、では意味がないのです。
電話であれメールであれ、このような依頼の場合には何度もやり取りし、納得した上でないとお受けしないという方針を守ってきました。なおかつ、基本的にはご一緒にお話を伺う、ということもしていません。玄関先で別れてお入りいただくようになります。
それは、カウンセリング自体、家族であれ他人が側にいたら話せる話もしにくくなるからです。一対一が基本です。
開業してからずっと、この守ってきた基本を、わたしはことごとく破ることになりました。今でも何でそうしてしまったのか理解に苦しみます。魔がさしたという表現を使うのは卑怯だと思うけど、ホントにそんな風な流れでした。
確かに、昨日今日のわたしは弱っていました。週末けっこういい感じで仕事をこなすことができて、もう大丈夫かな?という油断と、飛ばし過ぎて多少疲れていたこともあります。
夕方5時半くらいに電話を受けて「今日はどうですか?」と言われ、さすがに時間的にも無理で断ったことで、前回の時の罪悪感が蘇ってきたのだと思う。
そうとしか思えないけど、やはりとほほですね。相手の勢いに一度ノーと言ったことで次は言えなくなってしまった。
なんで、きっぱりと線引きができなかったのか。もしかしたら、この時点ですでに始っていたのかもしれないなと思う。エネルギーレベルでのゲームにね。自ら、それを招いて引き寄せたのだと今では思う。
玄関先で、ご主人を押しとどめることができませんでした。それは、わたしの中でも受けるかどうかの「迷い」があった為です。
心療内科にも長く通っていらっしゃること、睡眠薬を飲まないと眠れない状態であることを電話で知らされていたからです。お話を伺って催眠を受け入れられるかどうか確認してからにしようと思っていました。
たぶん、それを見抜いたのだと思います。強烈に食って掛かってくるという事態になりました。今まで色々な方とお会いしましたが、あんなに攻撃的な姿勢で挑まれたのは初めてです。
失礼以外の何物でもなく、ただ、わたしを刺激し怒らせようとしているようでした。隣のご主人を見ると関係ない人の振りをして無反応なのです。正直焦りました。
結果としては30分程お話?をしてお帰りいただくことにしました。全然話にもならず、何の為にいらしたのか理解に苦しむ展開で疲れました。
どうすることもできない事態に自分の無力感と、こうするしかなかったという思いでいっぱいになりました。どうすればよかったんだろう?と自分の内側に問いかけても怒りの気持ちしか浮かんできません。
そこで、わたしはオーラソーマの89番のボトル(エナジーレスキュー)を試すことにしました。自分の中でバランスを取ること、エネルギーを活性化し取り戻すことが必要だったからです。
瞑想をして内側と繋がりました。すると真実が見えてきました。
わたしは、本来の自分のやり方を通すという方法に従わなかった。それにより、クライアントのスペースを尊重すること、彼女の味方になるという大切な原則から逸脱してしまった。
依頼者のペースに乗せられて本質を見失ったことを反省せよ、ということでした。
確かに従来の方法を採っていたのなら、今回のような展開にはならなかったと思う。今まで、どんな場面であれ、いざとなったら自分の内側の力がなんとか奇跡を起こしてきたのです。信頼し強力に本来以上の力が、その場を満たし必要なことが起きていたのです。
空回りの言葉のやり取りの中でも、一瞬だけ繋がれそうなタイミングもありましたが、あっという間に消えてしまったのは、やはり部外者である依頼者が、そこにいたからだと思います。
カウンセリングは一対一の中で起こる信頼関係の勝負です。その大切なことを、わたしは忘れていました。
それに、うつの原因が、もしかしたら、その依頼者だったりすることも充分にありえる話です。と、いうより、たぶん、そうだと思う(笑)
悪意はなくても直接的でなくても親しい身近な存在が時には疎ましく思うことは誰でもあることです。
・・・そんなこと、今さら気がつくなんて。今までは、その辺の考慮もあって別々に対応してきたのです。当たり前すぎて見えなくなってしまったのかも。
まあ、仕方がない。申し訳ない気持ちも多々あるけど、実際にはクライアントにはならないご縁だったのかなと思う。
それに、何度か精神病院の入退院の経験があるとおっしゃっていたので、最初から、わたしの手には負えないレベルの方だったのかもしれないけど、やはり残念な気持ちは消えません。
でも、謝って許してもらえる話でもないので潔く諦めようと思う。何かわたしに大切なことを伝えてくださる為に来てくれたのかもしれないしね(笑)
本当は、こんなこと日記に書いていいのか悪いのかわからない。不適切かなという思いもある。でも、このあたりできちんとしておかないと、再び同じ経験をしてもいけないので苦渋の決断をすることにしました。
未熟な部分、ダメな部分を反省し表現しておくことで、二度と過ちをくり返すことがないように肝に命じておこうと思う。
それに、今までは理由がよくわからないながらやっていたステップが、本当に重要なポイントなのだと改めて認識できたのでよかったと思います。やっと気合いが入ってきたかな(笑)
まあ、そのうち、もう少し時間がたてば、もっと理解したり学びにできたりできるかも、と信じて前向きにがんばろうと思います☆