Diary
神様から見放された気がした 2005. 2.22 TUE
本当に一時はどうなるかと思った。今までの自信ががらがらと崩れ、自分は最低の人間だとか見放され奈落の底に迷い込んでしまったと思った。なにがどうなってしまったのか理解不能で混乱し失望し決して浮上することなどできないだろうと思ってしまった。
悲しいのでもなく悔しいのでもなく、例えるならブラックホールに閉じ込められ動けなくなった感覚。この仕事を始めてから2回目位の落ち込み。経験を積んでいるだけ今回の方がダメージは大きかった。
スピリチュアルな学びを深めていると、本当に幸せを実感することが多くなり感謝の気持ちを表現したり人に優しくすることが容易になります。
人生の神秘を知ってしまったような毎日は、本当に穏やかで平和で、地上に天国をもたらすというのはこういうことかと思うような生活です。わたしは自分で、それを体得したことを知っていました。
言葉で上手く説明することはできないけど心の状態がそれを表わしていたのです。だから、このセラピストという自分の仕事を愛していましたし、出会う人すべてに感謝の気持ちと善きことを願える状態でいたのです。
自分のバランスが取れていること、鏡の状態でいることが大切な役目なので尚更です。
でも、やっぱり時には疑う必要があるのだろうか?
たぶん、必要があったからこそ起きた出来事だと思うのです。次のレベルへのチャレンジだったのかもと今ではわかる。でも、その時は、とてもそうだとは思えなかった。
もちろん、心の内側では必死に大丈夫だから、という囁きは聞こえています。だから安心感を感じつつ、でもコントロールできないくらいの混乱の最中にいました。
その人は、わたしに「セラピストとして信頼にたる人物か証明せよ」と言っているようでした。でも、たぶん、なにを答えたところで攻撃を緩めることはなかったでしょう。彼女自身の怒りやセラピスト全般に対する怒りのはけ口だったような気がします。目を見ると「助けて」という思いが伝わってきます。
でも、受け入れたくない気持ちや、信じて裏切られたくない思いで葛藤していたのだと思う。罵詈雑言の言葉を投げ付けられ本当にダメージを受けました。
必死に、こういう時の為の対応文を思い出し応戦しているわたし。でも、そんなマニュアル通りの対応なんて慣れっ子になっていたと思うので益々ヒートアップしていきました。
ホント思えばあの時、スピリチュアルな信頼のパワーに頼ることができないくらい逃げ道を塞がれていたと思う。神様に祈ることも、自分の中心にいることもできなくなっていた。
自分では、とうの昔に使えないテクニックだと思っていたセラピストマニュアルの対応しかできなくなっていたのが興味深い(笑) でも、今思えば、それすらも投影だったように思う。
もしかしたら彼女がさんざん裏切られてきたと思っているセラピストの魂が乗り移ったのかもしれない。
まるでロボットみたいに「もう無理なので申し訳ありませんがお帰りください」と言っていた。ほんと早く自由になりたくて、その為なら頭も下げるし非を認めてもいいと切実に思った。
どうでもいい、こんなクライアントかかわりを持ちたくない・・・
こんな経験初めてでした。でも、本当に困難な重い心の病のクライアントだったのだろうか?と今は思う。ある意味においてはそう。
自分で自分を信じられない牢獄に捕らえられてしまった人だから。他人を信じることも、自分が治る可能性があることも認めたくないみたいでした。
その状態になってしまったのには色々理由もあるだろうけど必ずしも出口がない訳ではないと思う。もちろん簡単ではない。でも、ちょっとしたきっかけがあれば可能だと思う。
だって、何の為にその状態でいるの? そうなるだけの人生な訳はないでしょう。
そうなる人生を例え選んできたとしても途中で変えることができる、という展開になっていると思います。罰の為や他人に迷惑をかけたり振り回すだけの役割とは考えにくい。人間って、そういうものではないと思うから。
でも、そうとしか一見思えない生き方をしている人もいる。現実的に殺人を犯したり他人を苦しめることが生き甲斐としか思えない人もいる。この人達の人生は・・・ これに対しては、まだ明確に答えを出すことはできない。
わたしにとっては過去世の経験からも解きあかしたいテーマの一つです。連続レイプ殺人犯だった男性の過去生。この過去世の自分の真実は未だ見えてこない。
どうにもならなかった理由があるはずだと思うけど彼は答えてくれない。まだまだ、その真実を受け取り理解できる器ではないのだと今はそのままにしています。
この仕事に関わる時、実は犯罪心理学にすごく興味がありました。でも、どこか取りかかりたくない意識があります。本当は、いつかはそういう方面へといくのかもしれないと思う。大学に行って勉強しようとか専門的に心理学を学び学位を取るという選択もあります。
でも、妙な反発もあります。例のクライアントさんから、開口一番言われたのは「医師免許を持っているのか?」という問いかけでした。わたしには直球のウィークポイントです。その部分を刺激され一気に形勢を崩すことになりました(笑)
ホント心を長い間煩っている人というのは鋭いです。相手の一番弱いところを見抜いて攻撃してきます。図星のポイントでした。
ちゃんと資格を持っていれば安心なのか、堂々と仕事ができるだろうかと思ったこともあります。日本では資格がなくても大丈夫とは言え、ある方が有利だったり信頼してもらえる様な気がしてきたり・・・実は何度か考えたことがあるのです。
でも、その逆に権威を手に入れたとしたら変わってしまう自分も想像できます。きっとスピリチュアルの方法は取らなくなっていくと思う。学閥とか地位とか不自由な組織の一員になりたいのか?というと大きくノーです(笑)
自分にしかできない仕事がしたい。誰に縛られることもなく自由に発言し自分の言葉に責任を持ちたいと思う。
それに、その人が身を持って証明してくれたみたいに、必ずしも医師免許を持ったセラピストが救ってくれる訳ではない。たらい回しにしたり扱いにくくなれば放り出してしまう。
だって、より多くのケアをする責任があるからね。いつまでも仮病なのかよくわからないクライアントに関わる時間もないしベッドも空いてはいない。それが現実らしい。
わたしは、そんな現実は知らないけれど、それを知らないことにも腹を立てていました(笑)
セラピストだからってなんでも知っている訳ではないし、それを知っているからといって、役に立つとは思えない。逆にそれを聞いて益々、今の自分の仕事のやり方の意義を感じました。
もちろん、全部を救える訳ではない。でも、信じたいと思って頼っていらっしゃれば、今より良くすることは充分可能です。その自信と経験は揺るぎがないです。
ものすごく落ち込んで自分を責める状態から浮上しはじめると多くのギフトに気づくことができました。何をそんなに悔やんでいたか?
それは適切に話し合いの場にすることができなかった後悔と、言われっぱなしで上手く切り返すことができなかった無力さと、相手のペースに振り回されてコントロールできなかったことに尽きます。でも、考えてみれば相手はその道のプロです(笑)
わたしよりも経験も頭も良い有資格者のセラピストをお手上げにさせた張本人なので歯が立たないのも当たり前と割り切ることができました。
何事も経験です。そして、いざとなるとスピリチュアルな学びより学院で学んだセラピストのハウツーに頼ってしまう自分にも気づきました。
混乱の最中、仕事を辞めたいという意識が浮かんできた時、かけ出しのセラピストだった頃に先生から言われたアドバイスを思い出しました。
「辞めたいと思った時がセラピストとしてのスタートだ。おめでとう!」と言われたのです。
治療をしていく上で、どうしても自分に降り掛かってくる、そんな時こそクライアントの本当の苦しみや辛さがわかる。自分を通して、自分を理解し癒す事がクライアントにも助けになるはずだと学んでいたから心に深く響きました。そうなのか!と立ち直ることができたのです。
今回もう一つの浮上のきっかけは、その後の対応をシュミレーションしたことでした。現実にはあり得ないことですが、もしできるなら、どう対応すればいいと思うか考えてみたのです。
すると、何度かその人が言っていた言葉が浮かんできました。「話をするだけでお金を取るのはおかしい。高すぎるし暴利ではないか」と文句を言われました。
結局、その時は名前も住所も記入することを拒否される状態だった為、お金もいただきませんでした。
と、言うか「お金を払うんだから、さっさと催眠をやりなさいよ」と喧嘩腰で言われたので「受ける受けないは、こちらにも権利があります。お帰りください」という展開になってしまったので当然です。
本当に呆れてしまい、おとといきやがれ!と心の中で悪態をつく始末。ホント最低でした。
今思えば、どう答えても反撃してくるし怒らせることが目的だったとしか思えません。でも、感情は表に出さず、だからこそ余計腹を立てて攻撃してきたのだと思う。
わたしとしても真実を知りたい気持ちが強く浮かんできます。ところで一体本当はなにがどうなっていたの?って。だから、こちらから会いに行って冷静に話をしてみたいと思いました。
セラピストとしてではなく一人の人間として。そして、傷ついたこと、本当はどうなのか真実を教えてもらおうと思ったのです。
単なる好奇心もありました。どう考えても異常なやり取りでしたので本音が知りたかった。ぶっちゃけて聞いてみたかったのです。
連絡先は聞いていませんでしたが電話器に着信履歴が残っているのでコンタクトを取ることも可能です。現実的にそうしようと思ったら、憑き物が落ちるみたいに楽な気持ちになりました。
みるみるエネルギーが充電していくような感覚。本来の自分と繋がったみたいでした。そして元気になり回復へと向かっていきました。
今のところ連絡はしていません。たぶん、しなくてもいいのだと思う。自分の中で何度か会話の場面をイメージし、言いたいことをシュミレーションしただけで充分なのかもしれない。だって普通に考えてみれば逸脱した行為でもあるし迷惑かもしれないと思います。
自分の自己満足、研究欲の為だけに利用しようとしているだけかもしれない。なにより、その人をクライアントとして今後もサポートして行ける自信があるのか?と言われると気が進みません(笑)
やはり背伸びをして無理をしてもいけないし、自分の心に正直にいようと思う。そもそも無料で話を聞くなどという行為をすればセラピストとしては失格です。お金を受け取ることで相手のスペースを尊重しエネルギーの交換もできるのです。
受け取らなければ、こちら側の一方的な押し付けになってしまう。無料のモノって実は結構コワイです。一時的にラッキーと思ってもエネルギーレベルでは大変なことがおこります。借りは作らない方がいいです♪
結局一週間足らずである程度理解することができ、こころのバランスを取り戻すことができました。むしろ以前より視界が開けたみたい。パワーアップというか一山越えて次の景色が見えてきた気分です。そして、やはり出会えたことに感謝しています。
また、何かの縁で出会うことがあったとしたら、今度はひと回り大きくなった自分で対応できると信じてがんばります。まだまだ今後も気づいていくことは多いだろうから楽しみです。チャレンジ&ギフトについて語ってきたけど改めて本当にそうなんだな〜と再確認しました。
この越えられた経験が、また、自分を強く幸せにしていくのだと思う。やっぱり神様はいる。でも、本当に困った時は、わざと手を貸さないのだと思う。だって、自分で越えられた喜びは本当に素晴らしいから☆