Diary

あるがままの心境            2004. 9.11 SAT

B45前回使っていたボトルは45番(ブレス・オブ・ラブ)受け取ることと与えることのテーマでした。ターコイズとマジェンタ、自分の中で少しづつ意味を理解し始めた感じ。B59

現在のボトルは59番(レディポルシャ)、マスターボトルです。2,3日使っていてイマイチよくわからなかった下層部のピンクが抜けてクリアーに近くなっているのが原因かな?などと思いつつ、試しに11番のボトルを先につけてみました。

B1111番(エッセネボトル1/チェーン・オブ・フラワー)は特別なボトルで一緒に使うボトルの効果を高める作用があると言われています。今までは知識での理解でしたが使ってみて納得しました。

受容性を高めるのだと思う。偶然?下層がピンクなのでレディポルシャの本来の色のペールピンクのエネルギーがきちんと入るのかもしれない(笑)

ボトルの効果を検証する為にも様々な使い方を試す必要もあったので丁度よかった。そう、自分の身体で納得したモノの方が説得力もあるし実際そうだと思えるからね。104本全部試すのは無理だろうけど(笑)

今回思ったのは普段の自分はセオリー通りにしがちだということ。きちんと決まった方法でやっていく方が安心、でも、それだけでは済まない事もある。

いつの間にかマニュアル人間になっていた自分に気づき驚いた。だから今回直感に従ってやってみてよかったと思う。

もっと冒険してみてもいいかも。2人の友人はボトルを顔につけてみたらしい(笑)

一人は好転反応だったのか吹き出物が出て大変だったらしい。わたしは、そこまで考えた事もなかったので正直驚いたけど、でも、使用部位も各自の判断で自由なのです。

そして、また別の面にも気づき始めた。わたしの場合ボトル使用中は、そのテーマと関連して色々な出来事が起こります。と、言うか自ら注意深く関連付けているだけかもしれないけどね(笑)

ボトルに限らず本を読んでいる期間も、それに関連したことが多く起こるし・・・!

レディポルシャは判断を手放していくプロセスを助けます。「汝が裁かれない為に裁く事勿れ」がテーマ。

どういうことか?

上手くはまだ説明できない。ボトルを使い終わる頃に自分なりの言葉でまとめられるといいなと思う。単純に文章で読んで納得できるものではない。それはわかっている。だから前回の日記のテーマと繋がってターコイズなのかもしれない。

レディポルシャのボトルをシェイクするとペールイエロー(ペールゴールド)になります。丁度前回のターコイズ・マジェンタと等間隔の三角形をつくる位置になる!

(オーラソーマのカラーローズにて)バランスをとる位置にあることもすごいけど、無意識に選んでいることに驚く。

そして、やはり自分の気持ちを相手に伝えることの難しさに行き着く。上手く伝えられなくて引っ込めてしまう気持ち。誤解されたら嫌だなと思い面倒なことから逃げてしまう。

いい人ぶって相手に合わせたり適当に流してしまうことは多いと思う。後で後悔する事がほとんど。

本当の気持ちを伝えないと本当の友人にはなれない。誤魔化していると相手はそれでいいと思ってしまうから関係がぎくしゃくしてきたりする。

でも、最初の場面ではっきりさせてないから今さら・・・と悪循環に陥る。だから、だんだんと距離を置いてしまうのかもしれない。

思い切って正直に伝える勇気があれば誤解は生じない。その時は同意してもらえないかもしれないし、相手を傷つけるかもしれなくても、時間が経てば理解し合えたりいい関係になれると思う。

だってお互いにわだかまりはない相手だから信頼できると思うのです。時間が経って冷静になれば真実はお互いに見えてくる。その場限りの迎合だと後でわかる程気まずいことはない。だから喧嘩しても仲直りする相手の方が真の友人になれたりするよね。

大人になると真の友人が作れないとよく聞きます。それは、うわべだけで接して本心で相手と向き合ってないからだと思う。相手の気持ちを推し量って勝手に判断して言葉を選んでいるからかもしれない。

そして、自分の本音も伝えていない。「こう思われるかも」「嫌われたくない」という気持ちから本心をありのままに伝えるのが恐い。そう、そこには判断の気持ちがある。

自分で勝手に相手の気持ちを判断している。過去の経験から「こう思っているに違いない」とか「こう受け取られそう」とか。でも、必ずしもそうではないかもしれない。同じ人ではないし状況も背景も全然違ったりするのに、同じように考えて自分の行動を制限してしまう。

わたしが先日友人に試した事は、もしかしたら失敗だったかもしれない。でも、本心を伝えることでわかってもらえたらいいなと思う。

言葉に出来ない思いを受け取ってくれる人だと信じたい。今は無理でもそのうち・・・ね。だから手放すことも大切です。相手の理解のタイミングを信頼する。

その件と前後して別の友人とのやりとりがありました。彼女はオーラソーマの昨年のブリッジゴースで一緒だった人。何度かメールでやりとりし、遠方に住んでいるけど直接にも数回会っている相手。お互いに言いたいことを言い合うことができるブレーンの一人。

年齢差はあるけど気にならない。感性が合う人であれば老若男女問わないので助かっています(笑) でも今回は少し勇気がいった。

どう受け止められるだろう?と内心ドキドキ。だって自分でも上手く言葉に出来なくてメールを読み返しても大丈夫かと心配だった。でも、伝えたかった。相手にぶつけてみたかった。

すると、思いもかけない言葉が返ってきた。そういう好意的な見方で見てくれることもできるのか、と目からウロコの気分になった。自分では思いつかない見解だったので正直???と最初は思ったくらい。でも、すごく楽になったことは間違いなかった。

自分の伝えたいことが伝わったかどうか?と言うとよくわからないけど、そもそも自分でもよくわからない感覚を伝えたので当たり前な気もします。なんだか変化球で返された感じに近い(笑)

でも、大切なポイントを確認する事ができた。少なくとも変に誤解される事にはならなくて安心した。単によくわからない思いを聞いて欲しかっただけかもしれない。

その事についての答えが欲しかったというより、どう考えていようとただ受け止めてくれる事を求めていたのかも。

それは、ある意味、母親や家族からの無条件の愛に近い。ただ自分でいる事を許す・・・のかな。物心つくまえは誰でも無条件に愛されたと思う。生まれたばかりの頃は。

少し大きくなると条件づけに縛られる。〜しなければならない。〜でなければ愛されないと思い込んでしまう。善かれと思っての行為も子供には負担だったり・・・

でも、それは日頃のコミュニケーションなんだと思う。共働きで忙しく構ってもらえなくても、毎日気にかけてもらっている、愛されていると実感できれば子供はすくすく育つ。

逆にいつも側にいても、親自身が満たされていないと愛情を感じる事が出来ない。それは子供に愛情を向ける余裕がないから当たり前だと思う。

でも、その環境も、その子は選んで生まれて来たとしたら・・・それは、逆に子供が親を癒す為にやって来たのかもしれないのです。それだけ愛情深い魂なのかも?

だから、あるがままで生きるとは本来の自分を取り戻す事だと思う。自分の使命とともに。それだけの力があるからこそチャレンジも大きいのかもね。

勇気を出して気持ちを伝えてもいい。そこに愛情を込めれば誤解されることも、お互いの理解を深め合う為に必要なステップかもしれない。

表面の言葉や感情に惑わされないで真実をみる勇気を持つ。そんな気分になってきた☆

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