Diary

信じるものによって違う現実      2004. 3. 6 SAT

ある本を読んですごく悩んだ。これはどう捉えたらいいのか?

読みながら途中で止めてしまおうかと思うくらい気分が悪くなり嫌な気持ちが、拒絶感がわきあがってくる・・いつもなら、とっくに投げ出している。でも、今回は不思議な縁を感じていたからね。最後まで読み、自分の中で起こっていることをありのまま見ようと思った。

わたしは、霊能者と言われる人達が好きではない。なぜなら、悪い事は霊が憑いているから起こると決めつけ、除霊するしか道はないと断言される方が多いから。「本当にそうなの?」と言いたくなる。

今回の方も有名な霊能者。やっぱり今までと同じ内容でした。そして今日テレビでお姿も拝見しました。今までの他の方々と、やっぱり同じお顔をされていました。どうしてあんなに似ているのでしょう???

しかし、実際多くの実績と支持者をお持ちの力のある方だとうかがいましたし、わたしの様な若輩者が批判するのも一笑に付されるでしょう。批判というのとも違う感覚なんだけどね・・・

なにがそんなに嫌な感じなのか??? そもそも価値観の違いがあると思う。悪いことは本当に霊の仕業なのか?

霊という言い方を仮に想念とかエネルギーと置き換えてみる。すると、確かに悪いエネルギーが影響してよくない状況になっているというのは納得できる。それを取り除きたいと思うのは当然だしいたってシンプル。

そして除霊し守護霊様に中心に入っていただくらしい。これも置き換えるとこうなる。悪いエネルギーを解放し、光を内にとり戻す・・・やっていることはそんなに違いはない。しかし、根底から違うのは、

「誰にでも守護霊様がいる訳ではない」
「天国に行けるのは一握り、ほとんどの人は地獄で修行する」とか。

この2つのポイントが非常にムカムカした部分でした!

まるで、この教えを信じた者だけが天国に行けるように聞こえる。大昔からくり返しのパターンではないでしょうか?

もう、そんな言葉を鵜呑みにするのは止めにしてもいいと思う。だいたい自分が神から特別の使命を与えられ、導く存在であるように自ら公言される方はいかがなものだろうか?

「私は神様の使いっぱしり」という言葉は傲慢そのものだと思う。それを謙虚であると思い込ませているらしいし・・・

こんなこと書いたら友達なくすかな〜と思うし、下手したら糾弾されるかも・・・という不安も覚悟で向き合って行こうと思う! だって、ここでしらんぷりしたり言いたいことを言わなかったら、自分が後悔するってわかっているから。

霊が憑いているとか恐怖で支配する時代はもう終わりにしたい。恐怖の方が金銭的には儲かると思う。だって、そう言われたら除霊しなければってなるでしょ。

病は気からって言葉もある。その責任は取れるのか?と問いたい気持ちがある。だって予約しても早くても1〜2年後になる訳でしょ? その間不安な気持ちで過ごす人に対して責任は?

それに1年も2年も放っといて大丈夫な霊なら除霊する必要もないのでは?と素朴に思う(笑) 霊に限らず、1年も2年も気長に待てる悩みなら、そのまま本人の力でクリアーにできると思う。

しかし需要があるから供給があるのだと思うから責めるのもおかしいかもしれない。必要がないモノはこの世に存在しないのだから。

ある本に書いてあったことを思い出した。人類のシフトが起きる時、その人それぞれに合った現実を体験することになると。確かゲリー・ボーネルの『光の12日間』だったように思う。

キリストを信じる人にはキリストが迎えに来るし、宇宙人を信じる人はなんとか星人がやってくるとか。

そして思ったのは、信じる現実が起きるのだとしたら、やっぱり天国も地獄も、それを信じる人には真実なんだと。

だから、その霊能者を信じているということは、やっぱりその人達にとっては地獄はあり、天国に行ける人は限られているということでしょう。ただし、その教えの中でのみの現実です。

わたしの信じる真実は、誰もが天国に行けることを知っています。どんな人であれ神様は内側に存在すると思っています。誰かを恨んだり苦しむ必要がないことも、自分の光を信じることができれば、何も恐れることはないと知っています。

自分で制限してしまわない限り、叶わない夢などないことも・・・

もしかしたら、わたしの方がきれいごとを言っていると思ったり「偽善者」であると思う人もいると思う。だけど、信じることが現実になるというのが真実であるとしたらどうでしょうか。どちらの道を選択したいですか?

そして、今わたしがしなくてはいけないことは、それを証明することでしょうか。疑っている人にキリストが起こしたような奇跡をお見せすれば信じてくれるのでしょうか?

現実のわたしは、支持者も多くなく無名でお金持ちでもないですし、社会的には非力で持たざるもの・・・でも、誰よりもひとりひとりの 魂に誠実でありたいと思っています。すべての人の内にある光に敬意を表し尊重し善なるものを信じています。

そして、悪というモノは本当は悪いものではないと思っています。単に善を失っているだけ、闇は存在せず光がないだけだと知っています。自分に害を及ぼすモノは本来はないのだと。

すべてのことは自分に責任がある、引き寄せているという考えは強引かもしれないけど、自分が招いたことだから、自分で解決することができるのです。誰かのせいではありません。

霊のせいにしたり責任を誰かに任せてしまうと、自分で解決するチャンスを逃してしまいます。

チャレンジの中にはギフトがあります。
その恩恵を受け取るチャンスを自らの手でつかむことができるのが新しいわたし達の選択だと信じています。

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