I believe 11

オーラソーマの本質

「無理強いしない魂のセラピー」と言われているオーラソーマだけど、やっぱりそうなんだよな〜と改めて考え始めています。このことを特に意識しだしたのは、やはり他のものとの対比があったからです。どんなに素晴らしい教えでも、それを素晴らしいと感じるには相反する体験があってこそかなと思う。だから相対する方も必要な存在なのです。

オーラソーマに出会うまで、わたしは絶対的なるものへの嫌悪と憧れを持っていました。元々反発精神が強く何事も裏の裏まで疑う気持ちと、逆に簡単に信じ込んでしまう素直さと両方を持っていて自分でも混乱していたのです。

直感ですぐに信じ込むくせに、すぐに疑う目も忘れない。だから何が真実か見極められず流される場面があったとしても、深い部分では違うことも知っていて、結果が出る頃には不思議と納得しているのです。

だから、ただただ裏切られて悔しい思いをした、という経験は少ないと思います。心のどこかでネガティブなイメージを抱え準備をしていたせいでもあります。まあ、でも、だからこそダメになったのかもしれない。なにしろ思うことが現実になるからね(笑)

一般に宗教と呼ばれるものは他との分離から始まります。宗教に限らずニューエイジやスピリチュアルな世界全般にも言えることですね。「何かを信じるには何かを否定しなくてはいけない」・・・そうすることで差別化ができます。信じるものを、より明確に浮き彫りにすることができるからです。

例えばベジタリアン。単なる嗜好の問題かといえばそうとも言えず、菜食の方が身体に良いとおせっかいを焼いたりしがちなのが嫌なところです。あたかも「正しいから」と押し付け&説得してくるのはなぜなんだろう?

ホントある種の宗教だと思う(笑) 確かにスピリチュアルな世界のリーダーに菜食者は多いのです。わたし自身もセミナーの期間中菜食を余儀なくされたことがあります。

もちろん最初は抵抗し辛い思いもしましたが最終日にはピュアで軽い感覚を体験したり、研ぎ澄まされた繊細なエネルギーを感じたり効果は間違いなくあることはわかっています。今でも、その気になればチャネリングだろうが霊視だろうが何でもできる気がします(笑)

でも、わたしは普通のバランスの取れた食事を好みます。そんなに毎日肉を食べてはいませんが時には食べたいと思いますし食べます。もちろん美味しく味わっていただきます。基本的に好き嫌いはないので苦手なものでも場合によっては食べたくなることもあります。身体はちゃんと必要な物を要求すると信じているので偏りはありません。

もう一つの例えは、いわゆる悟りのエネルギーを伝授するという方法です。最近ではディクシャ、少し前ではレイキが近いかも。マスターや先生と呼ばれる立場の人間からイニシエーションを通して授けられるみたいです。ヒーラーと呼ばれる人達の手法も似たようなものです。

つまり他者からエネルギーを与えられたり与えるということに抵抗があるんだと思う。これも経験があるとかないとか、どの先生から受けたかによっての差別意識があります。そして、ほぼ間違いなく未経験だと言うと猛烈に薦められます(笑) 何で受けないのかと不思議がられたりする。でも、これも好みの問題&タイミングの問題なのでどっちでもいいと思う。

それに伝授されたら伝授する方にまわってしまう気がするので慎重に進みたいと思うのです。単なるスピリチュアルの世界の放浪者になるつもりはないので責任があります。だから、そういう時期が来たとしても自分のマスターは自分で選びたい。今、受けたいと思う人がいない状態で付き合いで受ける必要がどこにあるというのか?と思う。

たぶん、もう、わたしはマスターと出会っています。決して傲慢な気持ちではなく自然の感覚で、自分の内側にいる神と繋がっているつもりです。そのひとつがオーラソーマのマスターかなと思うのです。

オーラソーマも似ているんじゃないかと思うかもしれないけど全然違います。なにしろあらゆる宗教、あらゆる教えと融合する可能性を秘めているところがウリです。まあ、節操がないと言えばそうだし、オープンだと言えばオープンで自由です(笑)

ちょっとコースをのぞいてみればわかるけど全部のものと繋がることができています。全部取り入れると言うか知らないうちに繋がっていたことに気づくみたいな感じ。柔軟に対応することができるし変化していくことも平気。色は最古のセラピーらしく、あらゆる時代や土地で馴染んできたものなので言語や風習や宗教を超えて繋がることができます。感覚に訴えるからかな。

だから学び始めると深すぎてゴールはありません(笑) そして日常の毎日の生活に密着しています。色々な問題の答えを色で解くことはとても簡単にできます。自分の気持ち、今の状況、色を通して、オーラソーマのボトルを通して謎が解けてくる不思議。これが神秘でもあり楽しめるところです。簡単に括れないところが一番の魅力かな。

先ほどのベジタリアンの件も色で解くと簡単です。肉はレッドのエネルギーです。生命のエネルギーでもあり、この現実世界での力を表しています。そしてネガティブなメッセージは怒りや欲求不満なのです。

レッドを避けることで怒りや不満のある世界を拒否しようと思う。そのエネルギーがなければ穏やかで平和な感覚に包まれた毎日が可能になる。でも、逆にパワフルに動いたり物質世界で成功することは難しくなります。多くのスピリチュアルなリーダーは決してリッチな生活はしていません(笑) むしろ、そういうものを嫌悪して清く正しく美しく生きています。でも、現実的に世界を変えていく力はありません。

現実的に世界を動かす力があるのはレッドのエネルギーを持った人です。たぶん贅沢な食事をし女遊びもしてお金を動かしています。ある意味悪の雰囲気がプンプンしています(笑) でも、その気になれば慈善事業に投資することもできます。税金もたくさん納めています。多くの人の生活を支えたり守ったりする責任も負っています。つまり善であろうと悪であろうと実際的に人を幸せにする力を持っています。

レッドに光を追加するとピンクになります。レッドのエネルギーを持った人が他者に目を向けたり奉仕の気持ちが生まれてくると大きな社会貢献をすることが可能になるのです。だから富を求めたり物質的な成功を目指すことは必要だと思います。つまりレッドのエネルギーは大切なのです。

もちろんレッドばかりではバランスは悪くなります。菜食はグリーンになるのかな? ハートをオープンにしてわかちあうことも大切です。中国の陰陽の色がグリーンとレッドだと習いました。これもまたバランスですね。ちょうどクリスマスの時期はグリーンとレッドで飾られることも興味深いです。人々が一番心踊り安らぐ時期だからかなと思います♪

マヤ暦のカレンダーの提唱者であるホゼ・アグエイアス博士はベジタリアンです。今現在わたし達が使用しているグレゴリオ暦のカレンダーは日本では132年前、明治天皇が採用したことが始まりだと話してくれました。それ以降のどかに暮らしていた我々の生活が一変し物質世界に汚染された世界に変わったらしい。だからカレンダーを元に戻し自然と共に生きる道を彼は熱く語っていました。

確かに納得できる話だと思いました。このところの人口増加、様々な災害、社会問題、地球が悲鳴を上げ浄化作用が起こるのは必然だと。だから2012年に一つの文明が終わる。もちろん終わりは始まりだから新しい文明が始まる。だから、そのための準備をしよう!という趣旨だったと思う。

賛成と反対、両方の気持ちが湧き上がってきた。たぶん、どっちも本当だと思う。誰も間違っていない。でも、結果はそれぞれ違うのかなと思う。

歴史は元には戻らない・・・と、わたしは思う。と、言うか戻す必要はない。物質世界の贅沢を知らなかった時代に戻ることはできないです。ホゼが言うような聖徳太子の時代の生活に戻りたいとは思わない。そこまででなくても昭和初期の生活をしたいかと言えば無理でしょ?

たぶん輪廻転生の観点から見れば進化するということは必然なのです。過去の経験を生かして、その先の未来を作らなくてはいけないと思う。古き善きものは活かし統合したチャレンジをわたし達はできるはずだと信じたいのです。

だって、そんなにダメではないと思うから。今の社会を否定したくはないです。もちろん完璧ではないから間違いは正し、自分達の手で変えられるとリーダー達を信じたいです。その為には、わたし達が、それぞれ自分を信じ周りを信じ続けることだと思う。

信じるということは盲目的に任せるということではないからね。本当の意味で信じるということをしていくこと。わたしは今後もそうするつもりだし微力ながらできることはしていこうと思います。諦めちゃったら終わる。わたしは信じるよ☆

<おまけ>

ちなみにマヤ暦については興味深い部分も多いので来年あたりページを作るかも、です。オーラソーマとの関連もありますし、わたしなりに調べたりしたい部分でもあります。実はマヤはレッドではないかな?と秘かに思ったりしています(笑)

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