Diary
内なる自分との対話 2016. 7. 1 THU
2日前に50歳になりました。やっと人生の半分^^
誕生日を迎えると自分の1年の棚卸をして、新たな目標を立てる習慣が私にはあります。しかし、今年は忙しさを言い訳にやっと今日行いました。
実際、日にちにこだわる必要もないと言えばないのです。
「誕生日当日に行えればベストだけど、そうでなくてもいい」
要は多少前後しようが、やるかやらないかだけです。
でも、誕生日当日には図書館で本を3冊借りてきました。その中にヒントがあり、自分なりの儀式が完成したのです。
果たして自分は今、なりたい自分になれているだろうか?
そして、なれていないとしたら、何が問題なのかと考えてみます。たいていの場合は『なれていない』と答えるはずです。
なぜなら、人は日々向上し進化したいと思う生き物だからです。現状に満足したら成長は止まり、それを好ましいと思えるのは大変な時期を乗り切った直後の人だけでしょう。
だから、不満は大いに結構なのです^^
でも、単にネガティブな気分のままでいても面白くないので、それを逆手に取り、じゃあ、どうする?と自分に聞いてみるといいです。
一旦客観的に他人の目で自分の現状を見てみるのです。私の場合であれば、セラピストとしての自分が、クライアントとしての自分に対する様に。内なる対話でもあります。
セ:「で、どうしたいの?」
私:「今の自分に満足してない。何か違う」
セ:「で、どうしたいの?」
私:「本来の自分でありたい。本当の自分の人生を生きたい。もっと全力で取り組みたい。悔いのない人生にしたい」
セ:「で、どうしたいの?」
私:「とりあえずジムに週2〜4行きたいな。筋肉落ちてきてるし鍛えたい。前みたいに大会に出るくらい走れる身体になりたい。」
セ:「で、どうしたいの?」
私:「それには先延ばしをやめないといけない。ぐずぐずして結局行かないとか多いから。あと、余計な雑事をやり過ぎるかも。」
セ:「で、どうしたいの?」
私:「考えないでも行くように習慣にするしかないよね。玄関にジムセット置いておくかな。タイマー鳴ったら行くとか^^」
セ:「やってみたら?」
…と、こんな感じです。結局大きなことを考えていても実は小さなことを始めてみないといけない、と自分では考えているという例です。
セラピスト役は同じ質問しかしていません。でも、自分の中に答えはあって、質問の内容は実はどうでもいいのです。
私の場合は、まず行動を起こすことで次のステップが見えてくるのだと思います。
何かをやりたいけど、まずは体力作りが先ということです。それをしてからでないと本当の目的にはたどり着けないのです。(と、信じているということです^^)
以前、ソース・ワークショップの実習で【本当の望みを知るワーク】があり似たようなことをやっていました。
その時は「何が望みですか?」とパートナー役が永遠に聞いていきます。それに対して間髪入れずに答えていくのです。
バカみたい…と思うかもしれませんが、意外な自分の真実がわかり面白い結果が出ます。潜在意識の深いところに眠っている言葉がやがて出てきます。
セミナーやワークショップでは他の人達と一緒にいるという相乗効果で思いがけないことが起こります。
セラピーも同じです。特別な空間で、日常は話題にしない内側のことを話しているうちに色々なことが起こります。
自分を知るには、無意識の自分を呼び起こす必要があるのです。そして普段の自分に少しづつ変化をもたらすことが可能になります。
まあ、でも、日常の忙しさに没頭していると、やがて内側と繋がる時間をおろそかにすることになり、精神的にも肉体的にも体調を壊す・・・ということかな。
そう言えば誕生日の2日前に突然悪寒がして、やむを得ず休息モードに入ったのは、ある種の合図だったような気がしてきました。
単なる更年期障害?と思っていたけど、それだけではなかったのかも、と今ふと思いました^^
いつもありがとうございます☆