I believe 4
気づきについて
気づきってどういうことだろう?と改めて考えてみた。辞書で調べたら「気づく」とある。「(他人から教えられたりせずに)自分で心に感じとる。」 うんうん、なかなか適切でわかりやすい(笑) ついでに和英辞書でも調べてみる become aware そうか、アウェアネスって言うのは気づきの状態のこと。なんとなくわかった気になっていたのが確認できて満足♪
そして、〜ness の意味や使い方もわかり、気づくという動詞(自動詞、五段活用)についても認識することができた。なるほどね〜と。そうか、って色々関連づけて、それ以外の言葉についても思いをはせることができた。間違いなく、これも一つの気づき(笑)
それに教えられたとしても、自分で納得できなければ本当に受け入れることはできない。単なる知識を得ただけ。でも、自分の体験と共に関連づけて「そうなんだ!」って思えたとしたら、本当の意味での知識、そう知恵になっていくと思う。
「自分の感じる感覚を大切に」と言います。そう、だって自分の感じる感覚を信じることができなければ、たとえ真実であったとしても認識することはできない。目の前に答えがあったとしても本人がそうだと思えなければ見ることすらできない。
木を見て森を見ずという言葉があるけど、その木すら見えなかったりする。日常生活でもよくあること。心ここにあらずの状態であればきれいな花が咲いていたとしても気がつかない。なにかに悩んでいたり怒りでいっぱいであれば、おいしいご飯を食べたとしても食べた気がしなかったりする(笑)
その逆ももちろんあるよね。恋をしている時は誰もがバラ色のメガネをかけていると言う。大好きな人と一緒にいる時は豪華な食事でなくても、特別素敵な場所に出かけなくても幸せ。また、仕事が上手くいって乗りに乗っている時は残業も苦にならない。誰かに評価されている、期待されていると感じれば実力以上にがんばることも可能。プレッシャーをいい意味で活かす、自分への励みにすることができるのです。
そう、人は自分の気持ち次第でどう受け取ることもできる。周りが状況が・・・と言っても本当にそうだろうか?と立ち止まって見直してみるといい。
カウンセリングを通して一番思うのは、見方を変えれば世界が変わる、に尽きます。最初のうちは本人も混乱していたり、自分がツイてないとかダメだとか、どうすることもできない悩みを抱えていたり、悩んではいないけど上手くいかない思いを感じていたりします。なにかヒントが得られればと思うからカウンセリングなりセラピーを受けに来ます。でも、終わった後には自分の現実を肯定的に受け取る状態へと変わっています。
ヒントは実はすでに毎日の中にあったことに改めて気づくことになる。つまり木や森を自分の目で認識することができるようになります。新しいものを発見するというより、これってこんなに価値があったんだ!と再発見するような感じです(笑) だから特別な変化が起きるわけではないけど、でも超特別な視点を手に入れることになるのかもしれません。そして、その力は一生を通して使える力です。役に立ちます♪
まあ、でもすぐにモノにできるかはわからないけどね(笑) やっぱり癖はあるだろうから簡単に切り替えられなくてもあたり前です。しばらくすると別の問題でドツボにはまってしまうこともある。だから何度か試してコツをつかむ、慣れることが大切です。それに、悩むときには悩むなりの理由があって、それはそれで必要な体験です。壁がなければ成長もない。チャレンジ&ギフトはセットになりますからね(笑)
再び気づきについて。「自分は気づきが低い気がする」という悩みを訴えてくる人が多いです。高いとか低いってどういうことだろう? なんとなく言わんとしていることはわかるけどね。気づきが高ければ、どんどん自分だけで理解ができて便利そうな気がするよね。あんまり悩んだり立ち止まったりしないで進んで行きそう。楽に人生を生きて行けそう。そんな感じがする。
逆に低い人は、なかなか進めないってことかな。だから、そう訴えてくると言うことは、思うように進まなくなった。停滞しているから困っているってこと。
誰もが気づきの段階を進んでいくと起きる状態です。一時的に閃いたり、わかった感覚を得てしまうと落差を感じて焦ったりします。セラピーやセミナーを受けてしばらくすると以前と全く変わらない現実や、以前よりも色あせて見えてきます。そして不安になり、このままではダメなんじゃないかと思う。
ちょっとでも気づけた感覚があると、意識のレベルが高くなるから、よりいい状態を求めたくなるのはあたり前。一度いい生活をしてしまうと生活レベルを落とすのが辛くなり我慢できなくなるのと似ています。でも、それだけレベルアップしているということだから喜んでもいいんだけどね(笑)
一度上がったということは、いつでも上がれるということです。そういう経験を人生に引き寄せることができたという自分を信頼しましょう。気づきは何度でも起こります。というか普通に日常に感じることができるようにすることも可能です。簡単ではないけどね(笑)
でも、できるようになった人からすれば簡単そのものです。それは、気づきということは特別でもなんでもなく呼吸をするように普通にあるものだから。なにせ「(他人から教えられたりせずに)自分で心に感じとる。」だからね(笑)
毎日の生活の中で、しっかりと木を見ていくこと。そして森を見る視点も忘れないことです。バランスをとっていくことが大切です。プラス楽しむことを自分に許す。楽しい感覚を感じることが多ければ多いほど、物事をいい風に受け止めることができます。バラ色のメガネをかけることになるからね。
気づきが低いと嘆く時、自分がどんな状態であることを望んでいるのかを考えてみるといいかもしれない。もしかしたら過大評価している?ことに気がつけたりします。いきなり大きなハードルを飛ぶことを自分に課してしまう癖。そして、飛べなかったり倒してしまう自分を責める。でも、考えてみれば充分にウォーミングアップをしていなかったり練習不足であれば飛べなくてあたり前。まずは準備段階から見直せばいい。最初から上手く飛べることなどないのだから。
逆に飛ぶことだけでいいのであれば低いハードルを用意する必要があると言うこと。どちらを選んでもいいのです。背伸びせず自分を知りましょう。そして必要とあればコーチを頼んだ方が早いです(笑) 助けを求めることも大切です。
そして、やっぱり本をよく読むことが助けになります。自分の思考パターンには限界があり能力を引き出すにも自力では難しい。でも、本を読めば今まで自分の中で言葉にできなかった思いを表現してくれていたり、反論したい気分が浮かんできたり、自分の思いを再発見し発掘するのを助けてくれます。
それに知らなかった知識を得ることもできます。時には間違っていると思っても、そのことに気づけた訳だから役に立つのです。自分の思考をトレーニングする感覚で本を読んでいればホントに鍛えられます。
でも、慣れない人には本を選ぶ段階で戸惑ってしまうかも(笑) 結論から言えば成果を期待しないで読みたいものを読めばいいのです。知識は蓄積していきます。そして、ある程度すると色々なことが繋がって考えられるようになってきます。なにかのきっかけで、どこかで読んだ文章が言葉になって話せるようになってくる。なんとなく語学を訓練しているのと似ているのかもしれない(笑) ある程度ストックしていく地道な作業がある時実を結ぶのかな。
やっぱり色々経験することが必要ってことに思い至る。気づきと言うのは内側からわかったっていう感覚だと思うから与えられることから得るものではない。教えられるものでもない。すると、自分の中に熟成される過程を経ないと簡単には浮かんではこない様な気がする。だから、本を読んだり映画を見たり、他人との経験を通して感じたり考えたりする必要がある。
悩むことも解決することも自信を失ったり取り戻したり、喜怒哀楽、様々な感情を味わうと人生の彩りは豊かになる。年齢を重ねると達観するような境地になるのもそのせいなのかな(笑) 酸いも辛いもかぎ分けた・・・って言うものね。
そして高い気づきは、やはり刺激を受けることによってもたらされるような気がします。セラピーとか瞑想とか自分の内側に入っていくことによって閃きを感じたり啓示を受け取ったりします。でも、これは特別な体験だと思います。そんなに何度も何度も起きるようでは現実離れしてしまいます。確かに心地よい高揚感もありますが求めすぎても意味はありません。
だって、わたし達は、この三次元で生きています。日常に使える小さな気づきを多く経験して深めていく方がいいと思います。小さな気づきだったら毎日何かしらあるのではないでしょうか?
いつもなら気がつかなかった風景を目に留めることになったり、動物や子供を見て微笑ましいと思えたり、ベランダの花が咲いていて嬉しくなったり、ご飯がおいしかったり、化粧ののりが良くて嬉しかったり、誰かに褒められたり、思いつきで買ったものが思いの外重宝したり、月がきれいに見えたり、いいお天気で雲が動くのをぼんやり眺めた、夕日がきれいだった・・・なんでもいいのです。
大掃除をしてぴかぴかになった床、鏡を磨いた、ランチがおいしかった、知らない人と会話した、誰かに感謝された、空が青かった、いい曲が聞こえてきた、面白い本を見つけた、間違いを認めることができた、許された、許した、遊んだ、ケンカした、仲直りした・・・毎日色々なことが起きる。
1年前の自分だったら、どう対応していた? 今はどう? 一呼吸おいて考えたり感じたりできるようになっているかもしれない。悩みがあること、混乱していること、ダメだと自分を責めてしまう癖、他人を責めてしまう癖、すぐには直らなくても気づいている状態だと思う。単なる反応をくり返すパターンからは脱却できているかもしれない。
それも小さな一歩だと、進んでいるんだと自分を褒めてあげればいい。カメの歩みだろうが一歩は一歩。たとえ後退しているように見えたとしても、そのことに気づいていれば大丈夫。それに後退することはあり得ないです。意識的にしたくてする以外では起こりません。
時間は戻らない。年齢も今より若くなることはない。意識を変えて今を基準にすれば今が一番いい時期なのです。過去は終わったもの。未来は今をどう生きるかによって変わっていく。決められた未来はどこにもない。
わたし達は恵まれた国で生きています。自分の選択でこの時代のこの国に生まれてきた。何をすることも可能なのです。何をしたって食べていけないことはない。選択肢が多いから迷うと言うのは贅沢だよね(笑) せっかくここにいるのだから人生をエンジョイしていきましょう♪