I believe 1

まず、始めてみよう

ほとんど日記と変わらない感じもするけど別のコンテンツとして展開していこうと思う。タイトル通り信じるということについて様々に書いていきます。これは、ずっと温めていた思いです。信じる力は催眠療法に限らず、あらゆるセラピーの鍵になる部分だと思う。

イメージについても同じ。自分が受け取ったものを信じることができなければ結果を受け取る事はできない。今までセッションやカウンセリングを通して多くの方と出会いがありました。そして、いつも思うことは、同じ人間なのに反応や受け取り方が全然違うことの不思議でした。

違う人間なので当り前と言ってしまえばそれまでだけど、でも、皆が同じ結果を求めてセラピーを受けにやって来ます。望むこと、それは、真実を知りたいに外ならない。もちろん、それぞれ受けるに際しての動機は違います。でも、詳しくお話を聞いていくと最終的にはこれになります。今の自分に起きている状況や悩みや人間関係の意味が知りたいと。

そして、自分を知りたいという思い。今生における使命や、これからどう生きたらいいのかも。その答えを求めて人は本を読んだり占いを試したりセラピーを受けたりします。知りたいのです、本当の事を。自分は何者なのか、どうしたらいいのか、真実は? etc.

タイミングと言う言葉をわたしはよく使います。タイミング・・・内なる声がささやく時、物事が上手く行かなくてどうにもならなくなった時、望む現実が手に入らなくて、でも、もう諦めようかと思う時、もがいている自分、それを冷静に見ている自分、何かに突き動かされるように引き寄せられた感覚。

そんな縁で、ふとしたタイミングで受けてみようかと思う。もしかしたら、今までも何度か目にしたり耳にしたりしていても全然ピンと来なかったのに、ある時、なんとなくやってみようかと思う。そういう時は一番いいタイミングです。

内なるささやきは、ある日突然やって来るように思う。でも、何度も無視したり放っておくと、そのうち感じなくなると言う。本当だろうか?

たぶん、一時的には忘れるかもしれない。それに注意を払いたくない訳だから受け入れられる時期が来るまで封印してしまう可能性は高い。聞こえない振り、勘違いだと思うことにする。理屈に合わないからと却下。でも、それも含めてタイミングなんじゃないの?とわたしは思う。後できっと思い出す。それも、やっぱり意味のある合図だったと後でわかる。

何を信じても、信じなくてもいいのだと思う。信じられないことを信じる事も大切。でも、そうすると訳わからなくなって混乱も生じる。混乱する事も必要な場合もある。

混乱する為にセラピーを受けた訳じゃない、と文句を言いたくなるかもしれない(笑) 現代では、誰もがすぐに答えを得ようと焦り過ぎているように思う。もちろん、わたしもその傾向は多々あります。これをやったら効果が得られるだろう、とご利益主義に陥りがち。ダメなら、またすぐに別の方法を試そうとする。

人を見たら、まず敵か味方か判断して、即座に対応を決める方法もずいぶん長い間使っていました。ほとんど野生のカンみたいなものでしたが、その頃は役に立っていたと思う。そう、その時は・・・。

実はこれが大事。本当のところは、そうでなかったとしても、そう思って過ごしていたのなら、それはOKなのです。年月が過ぎ、後で振り返ってみれば、ああすればよかったとか反省したり、若さ故の過ちや配慮のなさを後で悔やむのは当然の話。

でも、それは、経験を積んで世の中の事や物の道理がわかった時点での気づきです。それに気づけるようになった自分を誉めてあげればいい。ただ、それだけの事。

でも、人は悔やむ。過去の自分を悔やむのです。もっとああしていれば・・・

これは、自分以外の人からされた行為にも当てはまります。もっと、いい両親だったら、あの頃○○がああしてくれていたらよかったのに、とかね。でも、それも今の自分が思う過去の自分であったり周りの人との関係なのです。その頃は本当はどうだったのかは想像するしかない。

もしかしたら本当の自分は、今みたいには考えてなかったかもしれない。と、いうか絶対考えていなかったと思う。その頃の自分は今の自分みたいに色々わかっていないし、その状況で精一杯対処していたはずです。

退行してみるとすごくよくわかるけど、一生懸命現実に対応しています。ホント切ないくらい、ピュアでがんばっていた自分に出会うことができます。これはインナーチャイルドに限らず過去生でも同じ。だから一度でも過去を体験すると、今の自分の見方や受け止め方が変化するのだと思う。

終わってから、一体何を得たのだろうかと考える。セラピーを受ける前に訴えていたことのヒントかみつけられたのかどうか気になる。でも、ほとんどの場合、それはどうでもよかったのかも?と思ったりする。明らかに何かが変化する。人によってはわかりにくい感じがするかもしれないけど、顔つきやエネルギーが変化したことに気づくと思う。

その日を境に劇的に変化する人もいる。微妙だけど前より楽に感じられるようになったと報告してくれる人もいる。すぐには変化を感じられず同じような日々が続き、でも、ある時突然理解が起こり驚いたというメールが届く時もある。ホントに不思議。でも、それも必然なのかもしれないと思う。違いは何だろう???

これから受けようと思う人、受けてから多くの変化があった人、ずいぶん経ったけど?の人、すべての人に同じように伝えるのは難しいけど敢えてやってみようと思う。すぐに反応を感じられても、未だにピンと来なくても、やはりそれもタイミングなのだと思うから。そして、どちらも意味があって善しなのだと思う。

それが、どういうことなのか、何が善しなのか、意味のあるメッセージを伝えることができるのかも正確にはわからない。けれど、ここに表現することも、やはり同じように、やってみたいと思う内側からのささやきを信じることにします。

「愛」と「受」という字が似ていることに昨日偶然気がつきました。心を込めると愛になるんだね。それも真ん中、ハートのチャクラの辺り。心を受け取ってもらえないと愛にはならず、心を受け取ることができれば愛を感じることができる。同じようにbelieve(信じる)の中にもbe live(生きる)が含まれていることにも気がつき嬉しくなった♪

ここで、それは素敵♪と思える人は、多くのメッセージを受け取れる人だったりします。そして「厳密には違うから正しくない」と引っかかる人は、やはり少し時間が必要かも(笑)

正しいか正しくないかではなく、楽しめるか楽しめないかがポイント。どれだけ意味を込めることができるか、目に見える以外の真実に気づけるかどうか。これから少しずつ書いていきますのでお楽しみに♪

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