Turquoise area
退行催眠/前世療法_6
I さん(40才・女性)
先月23日に前世療法を受けたIです。その節はありがとうございました。
前世療法もさることながら、大谷先生とお話しすることでずいぶん気持ちが楽になりました。
あれからもう3週間経ちます。私の暮らしぶりは特に大きく変化したわけではありませんが、心の中にあったどんよりとした暗い雨雲は去って青空が広がりつつある、今はそんな気持ちで日々過ごしてます。このままでよいのかと悩んでいたことが何だったのだろう?と思うほど何故かすっきりした気分です。
無気力を否定的に受け止めず、むしろ今そういう心理状態なら仕方ないと良い意味でのあきらめがつきました。問題を放置するというのではなくありのままの自分を受けとめて内省的な時を過ごすことこそ今の私に必要なのかもしれないと思ってます。幸いなことに一人で過ごす時間だけはたっぷりあるのですから。
あのときの過去生で今になって強く思いおこされるのは死の場面です。死への恐怖感はなく、ただ心の空虚さにおそわれていました。今でもこの場面が思い出されるたびに胸がしめつけられるような寂しさを感じます。それと同時に自分が死ぬことを恐れているわけではないんだと確信しました。(なんだか偉そうに聞こえるかもしれませんが・・・)仏教徒ではありませんがいわゆる「お迎え」は必ず訪れるのだし、それまで「おつとめ」果たしましょうと。
どうやら自分探しの旅が始まったようです。そういうものは思春期に終えたと思っていたのに、ちょっと気恥ずかしいですね。主人から聞いた話ですが、前世療法を受けるより前に私が寝言で「小さい私が泣いてる」と言っていたとか。今にして思えば内なる声を聞けってことだったのかなと思えます。
振り返ってみると他人からイメージされてる自分にこだわってその枠からはみ出さないよう頑張っていたのかもしれません。だから「私らしくない」ことから目をそむけたままでいるのがそろそろ限界だったのでしょう。自分のマイナス面(果たして本当にそうなのか?という疑問もありますが)も自分の一部、それを正直に受け止めるのも自分しかないのだなと思いました。
とりとめのないことをつらつらと書いてしまいましたが、自分の気持ちに忠実でありたいなと強く思うようになったこの頃です。それではまた。。。。
後日いただいたメール
そうか!こういうことが気づきなんだと理解した次第です。自覚がない気づきと言いましょうか。なんと言えばよいのか、家事をしているときや道を歩いているとき床についたときなどに心にふっと浮かぶような感じなのです。あの体験についてあまり拘らず、また考え込まずに淡々と過ごしていたのがよかったのでしょうか?
他人のマイナス面ばかり見てしまう自分が嫌でしたが、今では見えてしまうのだから仕方ない、短所があるからこそ長所も存在するのだしそれだけのことで何も自分を嫌うことはないなと思えるのです。以前ならこういうふうに気持ちを切り替えて考えることなどなかったので我ながら不思議です。
まるで引力のようにぐいぐいと自分の内側へ引き込まれていく、それが何故かとても心地よいのです。内なる自分からエネルギーでももらっているような感覚。自分で言うのも変ですが自分の心と向き合っていれさえすれば怖いものなしかなと思えるほどです。それではまたお話し聞いてください。