Diary
試されているのかも 2009. 5. 6 WED
上がれば下がるをくり返すのだろうか?というパターンを何度となくくり返しています。悟ったと思えば落ち、落ちたと思えば浮上する。安定しているのは一瞬で、絶え間なくくり返す波のように人生は続くのかも。
なんで安定しないのだろう?もしかしたら求めていないからかな?
スピリチュアルな世界では「自分が望んだものを手に入れる」という法則があり、今得ているものが、どんなに嫌だと思っても、実は心が望んだ結果だというふうに言われています。
それは、現状を熱望しているとか本当の望みとかいう意味ではないのです。単に「そうだ」と思い込んでしまった自分が結果を得てしまうということなのです。
「もしかして、こうなるのではないか?」という恐れ、「どうせ上手くいかないかも」という不安、「こうなって欲しくない」という強い思いが逆に引き寄せてしまうということ。
決して本心から望むわけがない結果だと思います(笑)
でも、潜在意識はイメージと現実の区別がつかないのです。だから、より強く思ったもの、何度もくり返し思ってしまうイメージ、その組み合わせの割合で結果が変わってくるみたいなのです。
これってホント、オソロシイと思いませんか?
そして、今、私も、あるモンスターを生み出してしまう恐怖と戦っています(笑)
出会いは偶然ではなく、縁が生まれるというのは意味があることなのです。ネガティヴな出会いにしてもそう。
怖れれば怖れるほど、より危険なパターンになりかねません。そのことはわかっています。寝た子を起こした責任は取らなければいけないのも確か。
でも、そこから生じる最悪のパターンを回避する方法はあるのか?
答えはもちろんあるはずです。自分が越えられないようなチャレンジは絶対やってはこないのです。自分が受け取る現実は自分が決めるのだとしたら必ず道はあるはずです。
諦めて恐怖に怯えれば、枯れ木が幽霊に見えることでしょう(笑)
以前アカシックレコードのゲリー・ボーネルから習ったことを思い出します。「人生に起こるアクシデントを避けることはできない。でも、それによるレスポンスと結果を変えることは可能である」ってね。
このアクシデントを経験することで学べることは何か?と事前に考えることが必要だと言われたのです。たとえ、それが生死に関わる事故だとしても、生きるか死ぬかの線引きが決まる・・・のだとしたら・・・
これはホント真剣に考える必要があるよね(笑)
自分が何を望むのか、譲れないものがあるのだとしたら、それは手に入れなければいけないもの。こんなところで簡単に諦めてしまうわけにはいかないはずです。
そして、やがて、この体験が自分を大きく強くする機会だったと振り返ることができるように、自分を磨く。できるだけの誠意でお話しする・・・しかないかも。
今の私にわかることはこのくらいかな。結果がどうなるのか少し楽しみになってきました。ここ2日位疑心暗鬼になっていたのに比べたら大きな進歩です。
起こることに偶然はない。自分の人生は自分で決める。
さて、どうなることやら(笑)